黒住教の教祖黒住宗忠は、人の人たる道を生きて神となられました。
天照大御神とご一体のその御教えを学び、実践することは、私たち一人ひとりがより良く生きるための大切な生き方です。
神道山黒住教学院で、更に喜びあふれる人生を送る一歩を踏み出しましょう。
黒住教学院学院長 長恒彰浩
本学院での学びを、
豊かな“お道人生”の礎に。
黒住教教師養成所、大元学院、神道山学院、そして黒住教学院と続く流れの中にあって、本学院の目指すところには「不易」と「流行」があります。
「不易」とは、黒住教学院 校訓
一、不断の研学に励むべし
一、下座の行に徹すべし
一、心身の錬磨につとむべし
にあらわれる、清純な気品の高いお道教師、大樹のように大きく伸びる自主的なお道教師、病み悩み苦しむ人に寄り添って、絶えず努力を続けるお道教師の育成です。
「流行」とは、令和の現代における本学院のミッションとして、多様な分野で教団に、社会に貢献する人間、真の意味でのお道教師の育成を目指します。同時に、社会の流れを注視し、心を豊かに養う場も併設して幅広い学びの場を提供してまいります。
令和四年より、新たに「教師育成科」「修養科」の二学科をそれぞれオンライン授業を併設する形で開講することになりました。かつて、百日修行と呼ばれた時から新たに三十日というステージを迎えます。
教祖神御教語に「三つ子の心で習わねば退屈が出る」、孔子の論語に「吾十有五にして学に志す」とあります。皆さんの年齢・立場は様々で、生い立ちも違うお互いが神道山の学び舎やあるいはオンラインによる遠隔授業の中より、大いなる学びを得られることを期待します。
人は環境によって育ち、経験によって成長すると言われます。霊地神道山という最高の環境の中、祈りと学習、行事や奉仕活動などの様々な経験を積み、たくましく成長してほしいと願います。
学院生時代は多感で悩みも大きいからこそ、仲間と共に支え合い、深く考え、学んでいく、かけがえのない人生の一時期です。オンラインや通信講座による受講生も、心はともに神道山にある気持ちで、霊地の息づかいを感じつつ、修行・受講していただきたいと願います。
この限られた時間について、黒住教教書より「玉子の御文」の一節をいただきます。
世の人々の身の上を考えるに、たとえば玉子の如し。せっかくの事に、ただちにそのまま鬼の餌食となること、貴賎賢愚の差別なし。
この道は、その鬼に食われぬように、殻を破りて広き天地へと遊び出ずるなり。
その玉子をぬくめるが修行なり。
ぬくめようの伝授というは外にてはなし。
-かねがね信仰し奉る、日の神様を深く念じつつ、まず心に三十日と思い定めて、日々の勤めはその身相応に持ち前のところをつとめ、その間毎日、おそれながら、日の神様と我が心とを一つにして少しも離れぬようにして居れば、間違いなしに殻は破れて、本来の(立派な)人となるなり。
-いよいよ神一体の人となるなり。
とあります。黒住教学院職員一同、黒住教の未来を担う人材の育成という崇高な使命を自覚するとともに、三十日後には殻がやぶれ、本来の人となり、たくましく飛翔する姿を瞼に描きながら、誠心誠意尽力してまいります。
現代人の生活様式は劇的に拡大を続け、世界が身近に感じられるようになりました。今後はAIやloTといった技術がますます高度化していく未来が待っています。しかし、お道教師の説教や祭式、書道、禁厭などの「人」に依る分野や技術がAIに替わられるとは思えません。
本学院は黒住教・お道を学びたいと願う全ての人々に対して、学修者本人の希望に添う学びの場を提供し続けてまいります。
歴史と伝統に裏付けされた本学院での学びは全ての人にとって、かけがえのない時間となることをお約束いたします。
その自信と誇りを胸に、一人でも多くの方に本学院の門を叩いていただきたく願うとともに皆様のご入学、またご受講を心よりお待ちしています。
【 黒住教学院 校訓 】
先輩諸氏もこの校訓のもと、日々の修行をつとめてきました。
神道山における祈りの日々をより充実したものにできるよう、この校訓のもとに日夜つとめられています。
林一九○ 作詞
(一)
吉備の山河の精をうけ 秀麗古今比類なき 明教ここに華と咲く
神道山の学舎に 集うわれらが誇りなれ
(二)
朝窓辺に文を繙き 夕の月に身を修む 念願は一つ炬と燃えて
崇き教祖のみ瀬踏みを 闡明し伝えん教旗の下
(三)
道義は退廃れて混濁の 怒濤と試錬逆巻くも まことを楯に青春を
真理にささぐ情熱と意気 知るや校風わが伝統
(四)
古き青史に清新の 息吹きをこめて人類の 祈りはたさんわが使命
世界大和の黎明に 覚醒の鐘は今も鳴る
黒住教学院は、教団唯一の教師養成機関です。
その歴史は古く、「教師養成所」「大元学院」「神道山学院」と名称の変遷を経つつ、今日の「黒住教学院」として、黒住教教師を輩出しています。