佐々井秀嶺師の参拝
平成28年7月号掲載「お釈迦様」生誕の地インドで、半世紀以上にわたって仏教再興に献身してきた岡山県新見市出身のインド仏教指導者佐々井秀嶺師(80)が、先月8日初めて神道山を訪れ、大教殿で教主様のお出迎えを受けて正式参拝した後、しばらく私との歓談のひとときをもたれました。
仏教発祥の地でありながら西暦13世紀頃にはほとんど消滅していたインド仏教を復興させたのは、「不可触民」と呼ばれた最下層から法務大臣にまで上り詰めた、アンベードカル博士(1956年没)という偉人でした。博士の業績は、身分の別を唱えるカーストという社会制度と結びついたヒンドゥー教から、平等を説く仏教に最底辺の人々を改宗させることで、彼らの人間としての尊厳が回復されるという意味で、特に高い評価を得ています。
1967年に渡印した佐々井師は、アンベードカル博士の遺志を受け継いで、2009年に42年ぶりの一時帰国をするまで、正に全身全霊をインド仏教の復興・再興に捧げて来られた “闘う仏教者”です。一昨年に重篤の病を克服してからは、師の健康を案じる支援者の要請で、日本各地で講演等を行うために2年続けて帰国しておられます。
「積年の願いが叶った思いです!私は、子供の頃、山陽新聞に連載されていた『小説 黒住宗忠』をいつも楽しみに読ませていただいていました。『太陽を呑み込んだ、なんと凄い人がおられたものか…』と感心していました」。
本庁前の正参道口に降り立った佐々井師の第一声は、初めて訪れた神道山、幼き頃からの記憶に刻まれた黒住宗忠様の元に参ることができた喜びに溢れていました。
「動く参道」に子供のような感嘆の声を繰り返し、ウグイスとホトトギスが鳴き交う深緑の神域と大教殿の荘厳さに「まさに聖地なり!」と心からの賛辞を述べて、有り難く嬉しい歓喜の気が満ちる中に教主様のお出迎えを受けて、玉串を奉奠して正式参拝、続いて日拝所に上がっていただきました。
ちょうど雲間から昼前のほぼ中天のお日様が姿を現されたことを殊のほか喜んで、しばらく合掌して日輪を拝された後、「宗忠様は朝日を拝まれました。インドでは沈む夕日に手を合わせます。私は、人々からどれほど嫌われようとも決して屈せぬ思いで闘ってきました。特にインドでは厳しすぎる灼熱の中天の太陽こそ、私が『かくのごとくありたし…』と常に追い求めてきた存在です。その中天の太陽に、ここ日拝所で手を合わせることができ、忘れ得ぬ思い出になりました」としみじみと語られました。佐々井師の50有余年の過酷な日々を垣間見て、身が引き締まる思いでした。
境内をご案内する間に充分すぎるほどの歓談の時をもつことができましたが、教主公邸の応接間で地元の山陽新聞とテレビせとうちの取材を一緒に受けることになっていたため、あらためて佐々井師のお話を伺いました。
「何度も命を絶とうと思った絶望の青春期を仏教によって救われ、尊敬する師匠からインドに行くことを勧められて、現地の言葉どころか英語さえも全く分からないまま、たった一人でインドに渡った。言葉が分からなかったのが幸いして、どんなに罵声を浴びようと気にならなかった。全くの天涯孤独の数年間、死に物狂いで日本の各宗派の仏教を学び、自分が何者であるか深く見つめ続けた。今、年間60万人を仏教に改宗させているが、それでもインド国内では未だ少数派。諸宗教が協力して行動できる日本は本当に素晴らしいが、インドでは無理だ。これからも、仏陀が悟りを得た聖地ブッダガヤの奪還、古代仏教遺跡である南天鉄塔の発掘、そしてヒンドゥー教から仏教への改宗運動に、非暴力で闘い抜く」。
厳しい現実に身を置いて、常に実践し続けてきた佐々井秀嶺師なればこその一言一言が、ズシンズシンと胸に響きました。「為すべきことを為す」宗教者としての在り様の崇高な実例を学ばせていただいた、インド仏教指導者佐々井秀嶺上人の大教殿ご参拝でした。