《祈りの誠》の“おふくろの味のレシピ”

平成28年5月号掲載

 立教二百年大祝祭を柱とした4年間の“祭り年”を満願成就にてつとめ終え、その感謝の奉告として「伊勢萬人参り」のおかげをいただき、その感激を教祖宗忠神に奉告した「教祖大祭」と「欽行百三十年『宗忠神社御神幸』」を先月有り難く斎行して、いよいよ名実ともに「立教サン世紀」を歩み始めている私たちです。本誌正月号の本稿にて、今年と来年の修行目標である「祈りは日乗り 日拝と日々の祈りにつとめよう」について説明して《祈りの誠》の5項目の基本的な呼び掛けを行い、2月号の本稿で「おふくろの味のレシピ」と題した年頭所感を紹介して「黙っていても自然に伝わった大切なことを、本気で伝えようと努力しないと伝わらなくなったこと」の一大事を申し上げました。本誌の読者であるお道づれの皆様には今さら説明するまでもないことですが、今月は基本的な5項目を次世代の方々に解説する思いで、《祈りの誠》の “おふくろの味のレシピ”を記したいと思います。

《祈りの誠》の “おふくろの味のレシピ”

1)子や孫の家を含む全てのお道づれ(教徒・信徒)の家庭に、祈る対象(御神前や神棚、または御しるし)が設えられていること。

 あなたの家には、神様とご先祖様がまつられていますか?

 黒住教は、天照大御神と八百萬神と教祖宗忠神、そして各々の先祖の神を信仰する神道教団(教派神道)です。天照大御神は太陽(とりわけ昇る朝日)に顕れる総てをつかさどる万物の親神、八百萬神は天地自然の霊妙な(厳かで尊い)はたらきに顕れる神々、教祖宗忠神は天照大御神から天命を直授された開運の神、そして先祖の神は家宗(家の宗教)が何であれ各家の守護神です。いつの時代も、私たちは神様とご先祖様に守られ導かれ、生かされて生きています。ひとり暮らしのお宅にも、核家族のご家庭にも、まずは “わが家のパワースポット”ともいえる祈る場所を備えることが大切です。「実家にあるから…」とか「親が拝んでくれているから…」と、神様とご先祖様から離れて暮らしていませんか?毎日の生活の中に “お日様”の光をしっかりいただくことで、開運の“おかげ”は必ずいただけるのです。

2)毎日、朝晩の拝礼(何はともあれ、手を合わせて感謝の祈りを捧げること)を欠かさないこと。

 祈る場所が準備できたら、当然のことながら神様とご先祖様に挨拶することが基本中の基本です。2回拍手して、「おはようございます」と「おやすみなさい」と心の中で申し上げるくらいは、どんなに忙しくても眠くてもできるはずです。黒住宗忠様は、「祈りは日乗り」とおっしゃいました。「日乗り」とは、「心にお日様をお迎えすること」であり「日々祈ること」です。とかく私たちは、祈るときにお願いばかりしてしまいがちですが、まずは常にお守りいただいて生かされていることへの感謝が最初の祈りでなくてはいけません。願い事は、その後です。人にものを頼むときと全く同じです。「ありがとうございます!今日もよろしくお願いします!!」、「ありがとうございました!明日もよろしくお願いします!!」と手を合わせて一日が始まり一日が終わる…。そんな心晴れ晴れとした日々を送っていきましょう。

3)黒住教の祈りの基本である「三大修行(日拝修行、お祓い修行、御陽気修行)」をつとめること。

 黒住教では「3つの大切な修行」という意味で、「日拝修行」と「お祓い修行」と「御陽気修行」が重んじられてきました。「修行」ですから、本格的に身に修めて行うための道は奥深いものですが、その入り口は誰でも行えるとともに、誰にでも行ってもらいたい心身の健康法です。

 「日拝修行」:毎朝、目が覚めて顔を洗ったら朝の日の光に向かって手を合わせて祈ること。雨の日でも雪の日でも、朝が来たら雲の向こうに太陽が昇っていることは誰でも知っています。

 「お祓い修行」:日本の伝統信仰である神道の祈りの言葉として遥か昔から重んじられてきた「禊祓詞」と「大祓詞」を、意味を求めずに唱えること。短い「禊祓詞」だけでも、毎日声に出して唱えて下さい。

 「御陽気修行」:腹式による深呼吸で、心魂を鎮め鍛えます。腰骨を立てて姿勢を正し、しっかり息を吐き切って、ゆっくりと息を吸って、できれば最後の一口をゴクンと呑み込みます。深く長い呼吸をするだけで、心が落ち着いてくるはずです。

4)黒住教の信仰運動の基本である“ありがとうございます運動”に参加すること。

 (2)で「感謝が最初の祈り」と言いました。考えてみれば、何もかも「有り難いことばかり」です。目が見えることも、耳が聞こえることも、手足が自由に動くことも…。「当たり前」だと思っていたことが、実はとても「有り難い」ことなのです。神社やお寺にある賽銭箱は、本当は感謝の気持ちをお供えする所なのに、願い事の代金を支払う所だと勘違いしている人ばかりです。黒住教は、“ありがとうございます運動”という信仰運動を通して、世のため人のために貢献し続けています。決して義務ではありませんが、一人でも多くの方が賛同して参加して下さることを願っています。

5)周囲の、病み悩み苦しむ「人のために祈る」こと。

 人のために尽くすことは、相手のためだけではなく、自分への掛け替えのない宝物になります。「情けは人のためにはならないから、掛けない方がいい」と誤解している人が過半数の時代ですが、「情けは人のためならず」という諺の本来の意味は「自分のためでもある」という言葉が隠されているのです。ただ、「いつか困った時に人から掛けてもらえるから…」と解説されると、「何だか利己的…」と感じる人も多いようです。そうではなく、人のために尽くすことは、同時に自分に何か大切なものが与えられる行為なのです。「誰かのために一生懸命になったことのある人なら、誰でも体験済み」と言っても良いのではないかと思います。教主様は、そこのところを「損をして徳を取りませんか」とユーモラスに教えて下さっています。「人のために祈ろう」は、黒住教の大切な祈りのスローガンなのです。

 言うまでもないようなことを、あえて書き上げさせていただきました。ともに《祈りの誠》を尽くす“道の仲間(お道づれ)”が一人でも多からんことを願っています。