おふくろの味のレシピ

平成28年2月号掲載

 まず、宗教専門紙「中外日報」と「宗教新聞」に寄稿した、今年の年頭所感を紹介いたします。

 地縁・血縁の希薄化と深刻な過疎・高齢化に、全国の地方は喘いでいます。故郷の温もり、ご先祖様への想い、代々受け継がれてきた伝統・文化、そして信仰といった“根っこ”の大切さが顧みられることなく忘れられつつある、と申せば言い過ぎでしょうか…?

 別の見方をすると、“戦後生まれ二世”が社会の中心を担う時代になり、その次の世代が戦後生まれのおじいちゃんとおばあちゃんが暮らすかつてのニュータウンの家(または、マンション)を訪ねるのが当たり前の風景になったとも言えます。

 時代の移ろいを悲観的に語るべきではありませんが、黙っていても自然に伝わった大切なことが、本気で伝えようと努力しないと伝わらなくなったことを実感します。

 家の信仰なんて、正に伝わりにくくなった象徴的な存在で、日々次世代への信仰の伝承の難しさを痛感していますが、伝える方法も「今まで通り」ではいけないと反省して、「知恵と工夫が必要…」と頭をひねっています。妙なタイトルで新年のご挨拶を申し上げましたが、今まで思いもしなかった「おふくろの味のレシピ」を書いて渡してやらないと、“わが家の味”は伝わらないと自覚しなければならない時代なのだと思います。

 立教202年を迎えて、“最も古い新宗教”ではなく“最も若い伝統宗教”として、古き良き日本人の心根をいかに伝えていくべきか…。共通の課題と心得て下さる諸先輩方のご指導を、本年もよろしくお願い申し上げます。

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 ところで、先月号の本稿で、今年から2年間の修行目標である「祈りは日乗り 日拝と日々の祈りにつとめよう」について、私なりの解説をいたしました。本格的な立教三世紀の幕開けに際して、黒住教道づれ各位に、あらためて「『祈り』を中心にした、信仰の日々を大切に!」と、100年の計に立って呼び掛けられた修行目標ですが、いま信仰の生活を送っておられる方々は申すまでもないこととして、実は、先の年頭所感で触れた、離れて暮らす次世代・次々世代に向けたメッセージです。

 立教202年を迎えても、学問的には“新宗教”に分類されることに違和感を覚えながら、実は本教はすでに“伝統宗教”が共通して抱える深刻な課題に直面しています。それは「地縁・血縁や家の風習に基づいた信仰のバトンタッチ」という「言葉に頼らない伝承方法」の限界という課題です。幼い頃の体験や思い出、または躾という“刷り込み”が種子になって、ある程度の年齢になると自然と芽を出すように目覚めて、わが家の信仰が受け継がれてきた今までとは異なり、意識的に言葉で教えて伝えておかなければ途絶えてしまいかねない時代です。今こそ、信仰の原点に立ち返って、天照大御神様、ご一体の教祖宗忠の神様、そしてご先祖の御霊様にお守りいただいて、生かされて生きていることの有り難さと、「おかげさま」の心で感謝の祈りの生活を送ることの幸せを、お子さん、お孫さんに繰り返し語っていただける信仰の先輩であってもらいたいと念願します。

 そのためにも、まずは全てのご家庭に、朝晩手を合わせて祈る場所があるかどうかを確認して下さい。このたび新たに準備された「額縁入り御神号」は、現代の住宅環境に適した御神号として有り難く祀っていただけるものです。霊舎の上部に掲げてお祀りすることも可能です。お一人暮らしの若い世代には、その前段階としての「御しるし」を是非とも拝戴していただくようにお勧めします。とにかく毎日手を合わす祈りの時が、日々の忙しない暮らしに心静かに自己を見つめる余裕を与え、明日への英気をもたらす開運の切っ掛けになることを、若い人たちに実際に体験させてやっていただきたいのです。

 最後に、若い世代に体験の機会をもたせる上で格好の神機が、今月執り行われる「伊勢萬人参り」です。当日の集合場所(宇治橋前)での申し込みも可能ですし、3月までは“推進月間”なので、特別の参拝証・御守り等を拝戴できます。春休みを活用して、ご家族での参宮を何卒ご計画下さい。こうした一つひとつの具体的なご案内こそ、「おふくろの味のレシピ」と心得ていただきたく存じます。