The Sun Centuryを迎えた“お日様教”
平成27年6月号掲載黒住教は、西暦14~15世紀頃から代々神職を務めてきた社家に生まれた神官・黒住宗忠を教祖として、今から201年前に立教なった神道教団です。私は、宗忠から数えて七代目になり、私の父が第六代教主です。教祖や教典を有しない日本古来の神道は、一般的に「教え(教義・戒律)がない」と言われますが、森羅万象あらゆる存在やはたらきを神として祀って信奉してきた八百萬神信仰には、無限の教えが秘められています。宗忠は、昇る朝日を拝む日拝を通して天命を直授していわゆる悟りの境地に立ちましたが、その教えは、古来日の神と称えられてきた天照大御神を万物の親神として崇め、天地に満ち渡る陽気の中で光明と温暖に包まれて一切が生々養育されて発展するというもので、八百萬の神々の大元として太陽、とりわけ昇る朝日に顕現される天照大御神を位置づける“一神教的”な特徴があります。
ただ、“一神教的”と言っても、太陽に象徴される天照大御神を崇拝しているのですから、少なくとも地球上に大御神の恩恵を受けない存在はあり得ない訳で、信仰上で敵対するものを見つけることはできません。宗教・宗派・教団が異なっても、すべからく八百萬神の一つと認められるので、必然的に他者への寛容性が持ち味といえます。
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これは、本稿先月号で紹介いたしました「ムスリムと日本の宗教者との対話プログラム」(共催:[公財]世界宗教者平和会議[WCRP]日本委員会、世界イスラーム連盟)のセッションⅠ「宗教と平和」で発表した、私の原稿の冒頭部分です。
日本古来の神道の伝統を真正面から受け継ぎ、その上で「凡そ天地の間に万物生生する其元は皆天照大御神なり。是万物の親神にて、其の御陽気天地に遍満り、一切万物光明温暖の中に生生養育せられて息む時なし、実に有り難き事なり」(「道の理」)と教祖宗忠神が説き明かされた神観を高らかに謳うことができるのが、本教の誇るべき特質です。「日神」とも称された大御神の尊きおはたらきを認めない宗教は、この地球上にはあり得ません。「この世のすべては唯一絶対なるアラーの加護の下にある」と信ずるムスリム(イスラーム信仰者)に対して、太陽、とりわけ昇る朝日に顕現される万物の親神・天照大御神への私たちの信仰を示して、「この地球上に、信仰上で敵対するものを見つけることはできない」と敢えて断言したのは、偏狭な捉え方しかしない人々に対する批判と、寛容な人々への賛意・共感を示すためでした。私が直接面識のある寛容なムスリムの代表といえる方が、シリアのイスラーム最高指導者(グランド・ムフティ)であった故アフマド・クフタロ師だったので、本稿4月号で紹介した「アラー、ゴッド、大御神の御恵みが我々すべてにもたらされますように」の言葉で締めくくられた手紙を、発表の最後に朗読させていただいたことです。
ところで、「道の理」では、この普遍的な神観に続いて「各体中に暖気の有るは、日神より受けて具えたる心なり。心はこごると云う義にて、日神の御陽気が凝結りて心と成るなり」と、いわば“性神説”と表現できる人間観が明らかにされています。私たちの心の本来の在り様がここに明示され、「人とは『日止まる』の義なり。『日と倶にある』の義なり」とも御教え下さった「人は天照大御神の分心をいただく神の子」という本教の教義の神髄を、私たちは感激とともに確信させていただけるのです。
世界の人が認める大宗教の中にも、「人は罪の子」という“原罪論”や前世からの因縁や死後の世界を説いて教える宗教は数多くありますから、こうした教えそのものを非難するつもりはありませんが、人に「知らない方が良かった…」と感じさせる宗教と「知って良かった!」と感じさせる宗教があるとすれば、“お日様教”と自称できる黒住教は、紛れもなく後者です。昨年の立教二百年を機に取材に応じた雑誌「一個人(別冊)」(KKベストセラーズ発刊)で「振り返るよりも前へ、前へ。これは現代社会に生きる私達にとっても強力なメッセージだ」と特筆された「徹底楽天・徹底前向き・徹底活性・徹底陽気・徹底感謝」の“日の教え”の有り難さを、しっかり実践できるお道づれでありたいものです。
黒住教立教第3世紀を迎えて半年、新しい時代の立春に合わせて発行していただいた小冊子「The Sun Century -サン世紀を迎えた日拝の宗教-」は、お読み下さったでしょうか?「黒住教に対して関心もない人にさえも読んでもらって、大切なことに“気づいて”もらいたい…」という思いで発行した「道端感謝」、そして「黒住教に『関心があるがよく知らない』、『とりあえず教えの概略を知りたい』という、お道づれ以外の人にも分かりやすく道を伝えたい…」の思いでまとめた「誠之道」と「道の緒」の前作3部作とは異なり、100パーセントお道づれに向けて編集しています。すべてのお道づれとそのご家族に是非読んでいただいて、黒住教の教徒・信徒である誇りと喜びを感じてもらいたいと、心より願っています。