ヨセフ・ピタウ大司教を偲(しの)んで

平成27年3月号掲載

 去る1月14日、東京の上智大学の聖イグナチオ教会主聖堂で行われた、元学校法人上智学院理事長・元上智大学学長・元教皇庁教育省次官の故ヨセフ・ピタウ大司教の葬儀ミサ・告別式に、教主様の名代として参列させていただきました。

 ピタウ大司教はイタリアのサルデーニャ島のご出身で、昭和27年(1952)にカトリック・イエズス会の宣教師として来日して以来、キリスト教の立場から宗教間対話にも熱心に取り組まれ、教主様とも長年の親交を持たれていました。昭和63年(1988)に開催された「第10回世界連邦平和促進全国宗教者岡山大会」では、山田惠諦(えたい)天台座主(当時)と教主様と共に基調講演をつとめられ、神道山にも参拝されています。
 教主様の紹介をいただいて、私は英国留学後間もなくピタウ神父(当時からの敬称で呼ばせていただきます)を訪ねて、それ以来親しくご指導いただいてまいりました。

 特に思い出深いエピソードが、平成14年(2002)の1月にイタリアのアッシジで当時のローマ法王ヨハネ・パウロ二世の呼び掛けで開催された「世界平和のための祈りの集い」に参加する機会を得た私に、シリアのイスラーム最高指導者であったアフマド・クフタロ師からローマ法王に宛てたメッセージを、ちょうど教皇庁(バチカン市国)の幹部でいらっしゃったピタウ神父が責任を持って託(ことづか)って下さったことでした。(平成14年3・4月号の本稿に紹介させていただいています)

 9・11米国同時多発テロから4カ月後に、ローマ法王の呼び掛けでイスラーム各派の指導者と世界の諸宗教者が一堂に会して世界平和を祈念したこの集会は、今も続くイスラームとの協調と対話(特に、西欧圏とイスラーム圏)の必要性と重要性を世界に示した先駆けとして認識されています。実は、このことと関連付けて語られることはあまりありませんが、歴代ローマ法王の中で初めてイスラーム寺院(モスク)に足を踏み入れたのがヨハネ・パウロ二世で、現存する世界最古のウマイヤ・モスク(シリア・ダマスカス)で法王を迎えたのが、平成2年(1990)11月に本教が主催した「神道国際研究会」に出席して大教殿にも参拝されたアフマド・クフタロ師なのです。この歴史的な訪問は、9・11テロの4カ月前の2001年5月に実現しました。

 アッシジでの式典に招かれるに際して、「神道国際研究会」以来交流のあるクフタロ師からメッセージをいただくことは可能だとは思いましたが、どうすればそのメッセージをローマ法王に届けられるかと思っていた矢先に、ピタウ神父からのクリスマスカードがローマから届いたのです。
 1998年に、ヨハネ・パウロ法王からの直接の要請により教皇庁に呼び戻されていたピタウ神父は、当時ローマ在住であった教主様のご友人で美術家の高橋秀氏・藤田桜女史ご夫妻ともじっ懇の間柄で、話はトントン拍子で進んで、何とローマでワインとイタリア料理をご馳走になりながら、私は有り難くも使者の大役を果たすことができたのでした。

 今年1月14日、「天皇陛下皇后陛下」からの御花が供えられた祭壇で厳かに営まれる葬儀ミサ・告別式に参列して、私は当時のことを感慨深く思い出しながら、ピタウ大司教の霊前に手を合わせました。
 大司教を師と慕う列席者の弔辞を拝聴して、あらためて、ヨセフ・ピタウという方の素晴らしさを再確認しました。徹底した信仰者で教育者。そして常に謙虚で穏やかで、且(か)つ陽気でありながら、揺るぎない信心に基づいた決断と実行の方であったと伺い、宗教指導者の範を見せていただいた思いでした。とりわけ、教皇庁の代表として揉(も)め事の絶えない地域を訪れた際、色の異なる複数のリンゴを半分に割って、「中の色は同じ」と諭されたというエピソードを聞き、心から感銘するとともに、クフタロ師のメッセージをご自身の信念で法王に届けて下さったことを確信したことです。

 教主様が斎主をつとめられた高橋秀氏の「高橋秀展-ローマにおける30年-」展(於ローマ国立近代美術館-1993年)のオープニングセレモニーも終わって開かれた大パーティーの時のことです。その終わり頃に、突然「教主様、万歳をしましょう!」と言って自ら音頭を取られたそうです。「大理石の大ホールに響き渡ったピタウ神父の『万歳!』は忘れられない…」と、先日も秀先生ご夫妻は懐かしく話して下さいました。

 教皇庁での大任を果たして、祖国イタリアから“帰国”した後は、上智大学で教え子たちが主催する「ピタウ先生と語る会」を楽しみながら、祈りに徹した余生を送られたとのこと。「これからは、『ピタウ先生を語る会』を続けたい…」と涙する教え子代表の弔辞に涙を誘われました。

 信仰は異なっても、尊敬する宗教者の先輩をいただく幸せを紹介して、ヨセフ・ピタウ大司教を偲ばせていただきました。