奉祝 立教二百年

平成26年1月号掲載

 いよいよ立教二百年の新年を迎えました。教祖様、おめでとうございます。教祖様、有り難うございます。そして、お道づれの皆様、ご同慶至極、心よりお喜び申し上げます。
 この掛け替えのない記念の一年を、ともどもに感動と感謝の心で一層の道の誠を尽くして、秋の大祝祭に、挙(こぞ)って神道山・大教殿に参拝して、教祖様に報恩感謝の祈りを捧(ささ)げましょう!
 まず、宗教専門紙「中外日報」に寄稿した今年の年頭所感を掲載させていただきます。

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 本年、私たち黒住教は、立教二百年を迎えました。
 代々の神職の家に生まれ、自らも備前(びぜん)岡山藩の守護神社の今村宮の神官であった黒住宗忠(くろずみ むねただ)が、明日をも知れぬ重篤の身で拝した旭日によって生きる気力を蘇(よみがえ)らせ、本復なって迎えた自身の誕生日でもあった文化11年(1814)の冬至に、東天に昇る朝日を拝んで神人一体の境地に至った瞬間から二百年。私たちは、毎朝の日拝(にっぱい)を最も大切な祈りとしてつとめながら、日の御(み)徳による日の御蔭(かげ)によって生かされていることに感謝して、日の教えを学び実践することを心掛けてきました。

 それは、太陽=神という神観というよりも、昇る朝日を通して顕現する万物の親神たる天照大御神を崇拝する信仰で、この親神の分心が本心(真心)として鎮まる
 「日止(とど)まり、日と倶(とも)にある人」とする人間観に立脚した教えです。
 「『日の本』の『の』は、所有格ではなく主格」という話を聞いたことがあります。「日が(万物の)本」という教えを、しっかり受け継いで参りたいと、心新たに迎えた立教二百年の元旦です。

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 多くのお道づれの皆様には、今さら申し上げるまでもない本教の原点ですが、原点なればこそ、新たな時代の出発点である今、この黒住教のアイデンティティー(拠(よ)り所)をあらためてしっかりと心に刻んでいただきたく存じます。

 なぜ日拝をするのか? なぜ親孝行が教えの基本なのか? なぜ誠が大切なのか? なぜ社会奉仕に熱心なのか? なぜ“バチ”とか“タタリ”とか“因縁”を言わないのか? なぜ“おかげ”があるのか? なぜ伊勢神宮奉賛なのか? なぜ他の宗教(宗派・教団)と仲良くできるのか? なぜ人のために祈るのか? 等々…。

 お道づれ(教徒・信徒)であっても、お道(黒住教信仰)が生まれた時から日常の暮らしの中に“当たり前”の生活文化として溶け込んでいない人が多くなった時代なればこそ、理路整然とはいかなくても、家族の「なぜ?」に応答して、この尊くも有り難い道を確実に次世代に繋(つな)いでいただきたいと強く願います。本教が、「日の本の道」、すなわち「日が本である道」ということ、さらには「日本の道」であることを確信して、自信を持って一層の信心に励むことが、ご家族の「なぜ?」に対する回答なのです。

 本誌「日新」の前身である「國(くに)の教(おしえ)」と「経世(けいせい)雑誌」(経世とは、「世を治めること」)という教団機関誌名からも、明治時代の先輩がどれほどの誇りと自覚をもって教祖様の説き明かされた道を学び、そして伝えようとしておられたかが分かります。ご承知の通り、立教二百年という大きな節目を迎えて、今年1月3日付の全国紙(讀賣新聞と産經新聞)に一面広告を出しました(地元岡山の山陽新聞にも同様に対応しました)。かなりの経費を要する取り組みでしたが、「日の本の道」としての使命感の現れによる、私たちにとって初めての実践でした。「日本の近代史と共に歩んだ 黒住教の二百年。」という大見出しが、世の多くの人々の目に止まり「黒住教立教二百年」を知っていただきたいと期待するとともに、お道づれ一人ひとりがその紙面を持って周囲の人に伝えて、この尊き時を迎えた喜びを分かち合っていただきたいと念願するものです。
 本年10月11日から11月3日までの間、10回にわたって斎行される立教二百年大祝祭に参拝して、ともどもに教祖様への報恩感謝と天照大御神の御開運を祈らせていただきましょう!