パネルディスカッション
「東日本大震災と宗教者・宗教学者」にパネリストとして出席して

平成25年4月号掲載

 去る3月2日(土)、東北大学大学院文学研究科の実践宗教学寄附講座の主催によるパネルディスカッション「東日本大震災と宗教者・宗教学者」が東北大学川内北キャンパス(仙台市)で開かれ、私は非被災地(被災していない地域)からの唯(ただ)一人の宗教者パネリストとして出席する機会をいただきました。
宗教学者の山折哲雄氏による「宗教者と宗教学者は災害とどう向きあうか」と題した基調講演の後、震災直後から被災者に寄り添い支え続けてきた被災地の宗教者による今までの取り組みが報告されました。
 モンク(仏(フランス)語で僧侶のこと)による移動喫茶“カフェ・デ・モンク”という、一緒にお茶を飲みながら僧侶が被災者の“文句(愚痴や悩み)”を聞く傾聴活動を、仮設住宅を巡回して行っている曹洞宗の金田諦應住職、仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク(東北ヘルプ)事務局長として宗派・教団を超えて被災者に寄り添い続ける日本基督教団の川上直哉牧師、そして津波によって完全に流されてしまった神社の復興と伝統の祭りの復活に向けて氏子各位とともに奮闘し続けている藤波祥子宮司らの報告は、信仰の大切さと祈りに基づく行動の尊さを学ばせていただけた、実働した宗教者ならではの貴重な体験談でした。
 続いて私が登壇し、公益財団法人世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会による東日本復興支援タスクフォース(特別事業)の全国規模の取り組みと、人道援助宗教NGОネットワーク(RNN)によるローカル・イニシアチブ(地方主体)の実践を紹介して、宗教協力による支援活動の実例を報告しました。その後、稲場圭信大阪大学大学院准教授と黒崎浩行國學院大学准教授が記録資料の分析報告を発表してから、パネルディスカッションが行われました。
 まず、各報告に対する感想を芥川賞作家で臨済宗僧侶の玄侑(げん ゆう)宗久(そう きゅう)師、島薗進東京大学教授、岡田真美子兵庫県立大学教授、蓑輪顕量東京大学教授の四名のコメンテーターが述べた後、私を含むパネリストによる意見交換が行われました。
 実は、今回のパネルディスカッションの目的の一つは、この度の大震災に際しての宗教者の実践を宗教学者が客観的に分析することで、宗教者の存在感のなさが指摘された18年前の阪神淡路大震災との違いを浮き彫りにすることでした。微力ながら被災者支援に取り組んできた宗教者の一人として、その活動が正しく評価されることは結構なことでしたが、先の大震災に際して宗教者が何も行っていなかったかのような誤解は解いておかなければならないと、個人的には意を決して臨んだ今回のパネルディスカッションでした。
 パネリストとして、私は本教が中心になって行った
 「大震災炊き出し奉仕“わたがし作戦50日”」を通して信頼関係のできた被災者との絆(一部の方々とは、今もご縁をいただいています)と、現地奉仕と神道山での下ごしらえ奉仕にはお寺の奥さんや他宗教の関係者も次々に駆け付けて下さった善意の輪の広がりを紹介し、救いを必要とする人々に対する“奉仕の誠”には今も昔も変わりはないことを力説しました。18年前に被災した体験を持つ岡田教授の力強い拍手につられるように会場全体から温かい拍手をいただき、かつて神戸で黙々と愛と慈悲と誠を捧(ささ)げた宗教者方の代弁を多少なりとも果たすことができたのではないかと感じ入ったことです。
 パネルディスカッションの最後に、一般参加者との質疑応答が行われましたが、東北・仙台市ならではの発言が最後の最後に飛び出しました。今も精神的な苦しみに苛(さいな)まれている被災者で、今回宗教者の集まりだから参加したという男性が、持って行きようのない胸の内を吐露したのです。緊張が張り詰める中、金田住職と川上牧師の優しく温かい包み込むような応答が会場全体の場を和めました。閉会後、ふと気が付くとその男性の隣に座って黙って耳を傾ける金田師の姿がありました。
金田・川上両師とは昨年来親交を持たせていただいている間柄ですが、今回初めてお目に掛かった藤波宮司と、テレビで拝見する通りの穏やかで思慮深い人物と感じた玄侑師との出会いは、同じ宗教者として今後もよい刺激をいただけるに違いないご神縁だったと有り難く思っています。