伊勢神宮式年遷宮 新たな時代の始まりの年

平成25年2月号掲載

 まず、老舗(しにせ)の宗教専門紙「中外日報」に「人のために祈り、誠を尽くす」と題して寄稿した今年の年頭所感を掲載させていただきます。例年、依頼を受けて一文を届けるのが慣例になっていますが、「これからの宗教の役割」という今年の課題(テーマ)を踏まえて執筆しました。
 『 東日本大震災から2年・・・。今も苦しみの中で奮闘の日々を送っていらっしゃる人々のことを、祈らない日はありません。
申し上げるまでもなく、私たち宗教者にとって「祈り(祈念)」は必要不可欠な行為で、祈りのない宗教はありませんが、「行動」を伴わない祈りは十分とは言えず、宗教(宗教者)の行動力は常に問われていると思います。
 一方で、「日本ほど、宗教(教義や信仰)に基づかないボランティア活動が盛んな国はない」と言われます。宗教者としては「信仰に裏打ちされた善行の尊さ」を伝える使命も感じますが、「宗教の有無よりも、誠意や思いやりの心を行動に移すことが大切」と信じて、私は地元の大学等で「ボランティアのすすめ(喜びと苦労話)」を学生たちに話してきました。
 いつの時代も、人のため、とりわけ病み悩み苦しんでいる人のために日々祈りを捧(ささ)げ、相手の立場に立って何ができるかを常に考え、誠を尽くして行動できる宗教者でありたいと思っています。』

 “祭り年”2年目の今年は、本教のみならず日本国民が挙(こぞ)ってお祝い申し上げるべき、伊勢神宮式年遷宮の本祭典が執り行われる年です。内宮(ない くう)と外宮(げ くう)の正宮(しょう ぐう)を中心とした、古(いにしえ)より定められた幾つかの社殿の遷御(せん ぎょ)が執行されますが、別宮、摂社、末社、所轄社と称される125(両正宮を含む)のお社(やしろ)すべての遷宮が終了するのは約10年後で、天皇陛下への遷宮満願成就の奉告が次のご遷宮の準備の始まりとのことですから、気の遠くなるような神事・行事が伊勢では休みなく行われていることになります。ただ、平成19年以来“ありがとうございます運動”のご浄財を通して奉賛してきた本教の取り組みはひとまず終了し、いよいよ明年の「立教二百年大祝祭」に向けて全力を傾けてまいりますので、お道づれの皆様に、これまでのご尽力に対して心から感謝を申し上げます。なお、“ありがとうございます運動”は、本来の「社会のため、人のための信仰運動」として、一層の充実を図ってまいりますので、今後ともご協力のほどよろしくお願いいたします。
 ご遷宮の年に、あらためて思いを巡らせた時、日本国民の総氏神である神宮のご神威の有り難さに感じ入りましたので、勝手な所感を少し述べさせていただきます。
60年前の第59回式年遷宮は、当初昭和24年が該当年でしたが、終戦直後ということで昭和天皇陛下の大御心(おお み こころ)により4年延期されました。まだまだ戦争の傷跡の癒えないわが国でしたが、この4年間に復興への歩みが確かに始まったことは、歴史の年表に目を通すだけで分かります。第59回のご遷宮は、それからの20年という日本復活を象徴する神事であったと思います。
 第60回式年遷宮の執り行われた昭和48年は、本教にとっては五代宗和教主様がご昇天になって現教主様の時代になり、いよいよ神道山ご遷座を一年後に控えた重要な年でしたが、奇跡的な復興・復活を遂げたわが国にとってはオイルショックが起こった混乱の年でした。
 そして、「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」という言葉に代表される、行き過ぎとも言える経済発展が急に終焉(しゅう えん)を迎えた「バブル崩壊」が、第61回式年遷宮の平成5年に始まったことを知ると、ここでもわが国の転換点が遷宮の年であったことに気付かされます。
 今、「失われた10年」と言われてから10年が経過したこの年に第62回式年遷宮を迎え、実態経済の動向には予断が許さないとは申せ、潮の流れが変わりつつあることを感じながら、私たちは明年の立教二百年を目前にしているのです。
 素人解釈ではありますが、伊勢神宮式年遷宮とともに新たな時代が始まることを実感しながら、副教主として、教務総長として決意を新たにした今年のお正月でした。