神楽岡・宗忠神社 ご鎮座150年記念祝祭「説教」
平成24年12月号掲載
黒住教の教祖であり当神社の御祭神である黒住宗忠様が、数えて71にて御(み)形を離れて天に昇られたのは、今から162年前の嘉永3年(1850)春のことです。
それから12年後の文久2年(1862)の春に、古来「日降山(ひふりやま)」また「神座(かみくら)」と呼ばれていた京の都の聖なる地であるここ「神楽岡」に、朝廷から賜った最高位の神号「宗忠大明神」を奉斎して「宗忠神社」は鎮座されました。明治維新まで5年という、風雲急を告げる動乱の幕末期に、孝明天皇の仰せ出された唯一の勅願所(ちょくがんしょ)として、当神社では御国のための真摯(しんし)な祈りが連日捧(ささ)げられ、国事に関するご祈念だけでも50数件の記録が残っています。また、先ほど教主様が御親教の中で紹介されました御神前に奉納された真筆の中には、神社建立に尽力した関白九條尚忠(ひさただ)公による「宗忠大明神」の大幅(たいふく)の御神号、最後の関白であり明治天皇の摂政であった二條齊敬(なりゆき)公による「文久2年の夏のころ宗忠神の遺教の歌を拝写して神社に納めける」と書かれた真筆、さらに後の明治の元勲三條實美(さねとみ)公による「神文(しんもん)之事」(宗忠大明神への誓文)等が現存しています。この三名は、いずれも孝明天皇に仕えた朝廷方の最重要人物として日本史上名高い方々ですが、迫り来る列強を前にして国内を二分すべきではないと公武合体を唱えた九條公と二條公に対して、長州や土佐の勤皇の志士たちの精神的な後ろ盾として、強硬な攘夷(じょうい)論を主張した三條公という、この時代に関心のある方なら誰もが目を疑うような主義主張の相反する方々が、揃(そろ)って宗忠大明神への信仰を明かされているのです。
私たち黒住教を信仰する者(お道づれ)にとっては、あらためて教祖宗忠神の御徳の確かさが何かに裏付けられなければならないという必要性はありませんが、世間一般の人々に対して黒住教信仰の尊さを伝えようとするとき、誰もが納得できる客観的な事実は大切です。本日、ご鎮座150年の嘉節を迎えた神楽岡・宗忠神社は、その存在自体が、わが国の行く末を左右する維新前夜の一大事に際して、公(おおやけ)も公、畏(かしこ)くも時の天皇様を中心とした公家方の信仰を忝(かたじけの)うしたという紛れもない歴史上の証(あかし)であって、本教にとって掛け替えのない誇りであり宝なのです。
それにしても、まさにご神慮とはいえ、今村宮という一介の地方神社の神職であった宗忠様が、ご昇天後12年にして最高神として勅願所に奉斎された陰に、直門の赤木忠春高弟とその活動を支え続けた教団幹部の舩木甚市氏の命懸けのご苦労があったことを、私たち黒住教道づれは決して忘れてはなりません。本日、記念祝祭の斎主として、赤木先生と舩木先生、並びに先輩方に、心からの感謝の祈りを捧げたことをここに報告いたします。
ご紹介したい誇るべき史実はまだまだありますが、目を現在、そして将来に向けた時、国家的な危機と言っても差し支えないような問題が内外に山積しています。とりわけ、現代人の精神の荒廃は深刻です。「いのち」が疎(おろそ)かにされ、伝統が軽んじられ、日常生活から「神を敬い先祖を崇(あが)める」という習慣はほとんどなくなりました。因ちなみに、「敬神崇祖(けいしんすうそ)」はパソコンの文字変換候補にすら存在しません。常に“心の問題”の重大さが指摘されながら、先人の叡智(えいち)や教訓が見直され、そして活(い)かされるといった傾向にはありません。本来、そういった役目を預かるべき宗教に対する信頼が、残念ながら失墜しているのが現実です。
私たちの力で出来(でき)ることは限られていますが、本日のご参拝を通して宗忠大明神への信仰の道の確かさを喜びと感激の内に再認識していただき、人のため社会のために一層の祈りと奉仕の誠を尽くすお互い“お道づれ”であろうではありませんか!
先に紹介した二條齊敬公が拝写された宗忠神の御神詠は「かぎりなき天照神(あまてるかみ)と我がこころへだてなければ生き通しなり」で、「人は天照大御神の分心をいただく神の子」という宗忠神の御教えの神髄を確信されていた二條公ならではの書です。「“罪の子”でも“穢(けが)れの子”でもない、尊き“神の子”」との揺るぎない確信があったればこそ、孝明天皇を真ん中にいただいて、激動と混乱の中の澄み切った台風の目のようなご存在として、わが国の新たな時代の幕を開けて下さったと信じます。
150年前、ご鎮座なったばかりのこの御神前で、赤木高弟が「誠(信)を頼むぞ! 誠(信)が道ぞ! 道が誠(信)ぞ!」と火の出るような説教をなさったのも、同じ“神の子”の確信からでしたが、ちょうど同じ頃、同じ京の都で幕府側の新選組が「誠」を旗印に駆け回っていたことに歴史の不思議を感じます。何が正しかったかは後世の者が判断することですが、先人たちの命懸けの志(こころざし)を仇(あだ)で返すようなことのなきよう、人のために世のために、そして国のために誠心誠意生きる現代日本人でありたいものです。
いよいよ、再来年の秋には黒住教立教200年大祝祭が斎行されます。今日の感激を活力源にさせていただいて、ともに道の誠を尽くしてまいりましょう!
本日は、ようこそご参拝でした。おめでとうございました。