強めよう、教祖様とのご神縁
平成24年2月号掲載
まず、老舗の宗教専門紙「中外日報」に「神道人として」と題して寄稿した今年の年頭所感を掲載させていただきます。例年、依頼を受けて一文を届けるのが慣例になっていますが、「いま、宗教にできること」という今年の“ 課題(テーマ)”を踏まえて執筆した所感でした。
昨年は、未曽有の大震災をはじめとした天地自然の恐るべき威力に震えあがった一年でした。すべての生命(いのち)を生かし育んでくれるのも自然なら、その余りにも強烈な力ゆえに、猛威・脅威と恐れ慄(おのの)かざるを得ないのも同じ自然だということを、私たちは言い訳無用に突き付けられました。
古来わが国の先人たちは、四季折々の生み出す豊かな恵みに感謝するとともに、火山列島・地震列島ならではの厳しさにひれ伏すような心で、森羅万象のはたらきを八百萬神(やおよろずのかみ)と称(たた)え、そのすべての本たる太陽を天照大御神と崇(あがめ)て、慎み、敬い、畏(かしこ)み(恐(かしこ)み・怖(かしこ)み) 奉(たてまつ)ってきました。この「惟かむながら神の道」が、日本古来の神道であることを、あらためて実感しています。
一人の神道人として、そして宗教者として、天地の安泰と国土の平安、物故者の御霊(みたま)安寧と被災者・被災地の復活・復興、さらには原発事故問題の解決を祈らない日はありません。と同時に、生命(いのち)(霊魂)の永遠性を確信する者として、痛み苦しむ人々に真摯(しんし)に親身に寄り添える信仰者でありたいと思っています。
いよいよ2年後の平成26年に斎行される「立教200年大祝祭」に向けて、「お導きいただいて200年『強めよう、教祖様とのご神縁』」が、今年と来年のお道信仰の修行目標として示されました。ここ数年来、『深めよう、教祖様とのご神縁』(平成20年、21年)、そして『広めよう、教祖様とのご神縁』(22年、23年)と、教祖宗忠神との“ご神縁むすび”が繰り返して呼び掛けられてきましたが、その締めくくりとなる2年間の修行目標です。
今まで「深めよう」「広めよう」と心掛けてきた教祖様とのご神縁を、より深めて、より広める“もうひと踏ん張り”の努力と、「教祖様、もっと知りたい近づきたい」との“祈りのスローガン”を、今こそ一層の熱い誠の心で実践・推進する二年間になりますよう、お道づれの皆様の奮起を心から期待しています。
冒頭の年頭所感で明らかにしたかったことは、「古来、先人たちが重んじて来た、わが国ならではの信仰の確かさ」です。西洋の宗教にとっては対立的要素になりがちな科学技術の革新や文明社会の発展も、すべて神々のはたらきと称え敬い畏み奉る神道にとっては、何ら対立する存在ではありません。それどころか、何もかも尊いご神慮(おかげ)と、有り難くいただける“恵み”に他ありません。しかし、残念ながら多くの現代日本人が、日常の有り難さを感じることもなければ、自然への畏怖もほとんど意識しなくなっていた中に起こった昨年の大惨事でした。人類にとっての想定外の出来事も、地球規模では、地殻の一部が連続して跳ね上がった結果の揺れと波の発生ですから、やはり計り知れない大きなはたらき(エネルギー)への謙虚な畏れ(恐れ・怖(おそれ))を真摯に学び直す機会にするしかない、すなわち、先人たちの素朴な信仰を取り戻すしかないと思います。
立教200年を目前にして、私たちは「神道人として」、教祖様が説き明かして下さった日本神道の教えの神髄を心新たに学びつとめて、多くの日本人に“お裾分け”する大きな使命を担っていると思うのです。
「この宗忠を師と慕う者を決して見殺しにはせぬ!」「この左京が瀬踏みをいたす、皆々様ついてお出(い)でなされ。畏(おそれ)ながら、高天原まで、御案内仕(つかま)つる」「死にはせぬどこへも行かぬここに居(お)るたずぬる人のあらばこたえん」「かぎりなき命の道をみちびかん重ねたまえよよろずよまでも」。
今こそ、教祖宗忠神とのご神縁(絆)を強く固く結ばせていただいて、立教200年に向かって、ともに一層の誠を尽くしてまいりましょう。