ローマ法王主宰の「宗教者サミット」に招かれて
(10月27日於イタリア・アッシジ)
平成23年12月号掲載
ローマ法王ベネディクト16世が主宰して、世界の宗教者の代表が、平和を祈り対話を行う「世界平和のための省察・対話・祈りの日」が、去る10月27日、イタリア中部の街アッシジで開かれ、教主様の名代として私が出席させていただきました。アッシジはカトリックにとって特別意味のある聖地なのです。「宗教者サミット」とも呼ばれるこの集いは、前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が1986年の同月同日に、キリスト教として初めて諸宗教の代表をこのアッシジに招いて平和を祈った集いから25年(四半世紀)を記念して開かれたものでした。
世界50数カ国から招かれた宗教指導者は300人で、その内60人ほどはキリスト教各宗派の聖職者だったので、同教以外からの二百数十名の招待者は、まさに各宗教の代表でした。日本からは、全国の神社を統括する神社本庁の総長で石清水八幡宮宮司の田中恆清師と、全日本仏教会会長で臨済宗妙心寺派管長の河野太通師名代の松井宗益宗総務長をはじめとした、11の宗派・教団を代表する宗教者が招かれました。
本教にとって10月後半といえば、三週に分けて斎行された「立教197年・神道山ご遷座37年『記念祝祭』」の期間中でしたから、私は第2回の祝祭を終えた23日の夕方に東京(羽田空港)経由でイタリアに発(た)ち、第3回の祝祭前日の29日の最終便で神道山に帰着するという慌ただしい出張となりました。随行は、黒住教岩見沢教会所(北海道)の高橋一喜所長で、本誌来月号に“随行記”が掲載されますので、楽しみにして下さい。
過密な日程ではありましたが、イタリア到着翌日の25日には、オ・ジ・サ・ン・二人で“ローマの休日” を楽しむこともできました。そして、26日の午前中にカトリックの総本山であるサン・ピエトロ大聖堂に参拝してから、私たちはローマ法王庁諸宗教対話評議会から指定されたホテルにチェック・インして参加登録を行い、翌日の式典に備えました。
式典当日の早朝、パトカーと白バイが先導する7台の送迎バスに分乗した私たち“巡礼者” 一行は、サン・ピエトロ大聖堂に隣接する特別駅で“御用列車” に乗り換え、ローマ法王とともにアッシジに向かいました。
今回は、私にとって9年ぶり2度目のアッシジ訪問でした。本誌平成14年2月号で報告していますが、9・11米国同時多発テロ後、世界をイスラームとの対立の構図に陥らせてはならないと、最晩年の前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が老体に鞭打つようにして諸宗教者に呼び掛けて開いた「祈りの集い」に、長年の知人であったフランチェスコ修道会のM・ミッチー神父(故人)の招きで出席させていただいたのが私の初訪問でした。
途中の駅や沿線で小旗を振って迎える地元の人々の中を進んだ列車は、午前10時に大歓声のアッシジに到着しました。一行は、まず聖人フランチェスコが祈りの生活を送った場所に建つ聖マリア・デリ・アンジェロ大聖堂に参集して祈りを捧げ、ローマ法王と10名の代表者が次々に発表する平和へのメッセージに耳を傾けました。昼食をはさんで、アッシジの象徴である聖フランチェスコ大聖堂に会場を移して、田中神社本庁総長を含む14名が平和の誓いを宣言し、青年男女たちが歌と踊りで感謝と歓喜を表現して式典は終了しました。教義・経典に基づくメッセージ性を重んじる西洋の宗教ならではのプログラムに、「省察・対話・祈りの日」という名称の意味するところを、参列して初めて実感したことです。
ところで、当初後ろの席に座って2時間のメッセージ発表を聴いていた私でしたが、午後の会場への移動中に担当事務官から「先刻は、貴方 (あなた)を見つけられず後方に座っていただくことになり大変失礼しました。どうぞ、こちらへ…」と前から2列目の席を指定されました。また翌日の法王との謁見に際しても、特別に案内されて法王から直接お礼の言葉を受けるという栄を受けました。握手をしながら、私は「貴方様のご長寿を、心より祈念します」と述べたところ、法王は非常に驚いた顔をして「おぉっ… !」と声を発して、笑顔で丁重に再びお礼を言われました。この時、「ほうおぉっ(法王)… !」と言われたかどうかは分かりませんが(笑)、異なる宗教の者からの見舞いの言葉を、ことのほか喜んで下さったことを素直に嬉(うれ)しく思いました。
11月29日に神道山を舞台に開かれた「第33回世界連邦平和促進全国宗教者岡山大会」とともに、国の内外で本教が必要とされる「御用(おんもち)え」を、立教200年を3年後に迎えんとするこの時期にいただくというご神慮に身の引き締まる思いです。わが国を代表する宗教教団として、一層の誠を尽くしてまいりたいと決意を新たにする次第です。