「東日本大震災街頭募金活動」

平成23年5月号掲載

東日本大震災から一カ月と一日が経過した去る4月12日、私たちは3月13日以来連日欠かさず行ってきた街頭募金活動を終了しました。今もなお過酷な避難生活を強いられている十数万人もの被災者に思いを馳(は)せたとき、ここで区切りを付けるべきかどうか迷いながらの活動終了でした。
 本稿先月号で紹介しましたように、3・11の大震災直後から、本教では物故者慰霊と被災者復興の祈りと義援金の募集を全国の教会所を通して呼び掛けていますが、同時に、「じっとしてはいられない…」という思いに駆られて、本教のお道づれとRNN人道援助宗教NGOネットワークの友人たちと街頭に飛び出したのでした。16年前の阪神・淡路大震災に際して行った「大震災炊き出し奉仕“わたがし作戦50日”」のような現地での活動ではなかったものの、「させていただく」と「継続する」を旨とした“奉仕の精神”は共通で、微力ながらも「たかが街頭募金、されど街頭募金」とでも言えるような貴重な体験となりました。
 まさに未曽有の大惨事でしたから、募金を始めた最初の五日間(すなわち、震災から一週間)は、被災していない岡山でさえ非常事態下にあるような特別な空気の中での活動となりました。本当に多くの道行く人々が立ち止まって、またはわざわざ駆け寄って来て、多くの寄付を募金箱の中に入れて下さいました。事実、一カ月間で寄せられた全募財の過半数(5分の3)が、この五日間で集められました。募金活動ですから金額が“成果”には違いないのですが、今回街頭に立ち続けて、別の“成果”を体験したのは一週間が過ぎてからでした。
 その頃、多くの方々が同じような思いをしたのではないかと想像します。はっきり申し上げて、街頭募金ならぬ“街頭集金”に閉口しませんでしたか? 通り道を阻ように募金箱を持ったスタッフが立ち並んで、ボリュームいっぱいの拡声器を使って募金を呼び掛けて、まるで「素通りするのは“人でなし”…」とさえ感じさせてしまうような行為、もちろんそのような団体ばかりではありませんでしたが、私はそのような行為を「善意の行い」だとは思いません。ボランティア活動を行うに際して、当事者が最も気を付けなければならないのが“善意の押し売り”なのです。その点、有り難いことに「奉仕は“させていただく”もの」という五代宗和様のお言葉は、今回の街頭募金に際しても“威力”は絶大で、奉仕者の皆さんは、常に謙虚に誠実に礼儀正しく活動して下さいました。
 震災から二週間を過ぎると、私たち以外で街頭募金を行う人たちはほとんど見られなくなりました。普段の生活に戻らなければならないのはもちろんですが、道行く人たちの関心が日に日に冷めていくのを実感させられた「震災後二週間」という時期が、実は非常に重要な節目なのだそうです。阪神・淡路大震災の時に専門家から聞いたのですが、「過酷な現実をすべて受け入れなければならない被災者の苦しみと疲れの極限と、震災直後から現地に駆け付けて不眠不休で救援活動を行ってきた人たちの限界が二週間以降に露呈する」とのことでした。この分析が今回どの程度該当したのかは分かりませんが、「被災地の本当の苦しみはこれから…」というときに、被災地以外では日常が取り戻されているという現実をひしひしと感じながら、私たちは祈りにも似た思いで後半の二週間を街頭に立ち続けました。
 教祖大祭と御神幸(ごしんこう)の日も、RNNの友人たちが中心になって予定通りの募金活動を行うことができました。毎日続けていると、「い・つ・も・有り難うございます」とお礼を言って浄財を入れて下さる方も現れるようになり、有り難いことに毎日少なくとも一万円の募金(ほとんどが貨幣)を常に集計することができました。
 あまりに広範囲に及んだ被害の甚大さに加えて原子力発電所の人災事故、それに伴う風評被害と、被災者の苦しみを思うと胸が痛みます。「思いを寄せ続けて差し上げて下さい」と街頭で声を掛け続けた言葉を自らに言い聞かせながら、引き続いて“奉仕の誠”を尽くしたいと思っています。31日間、延べ511人の奉仕者によって集められた2,656,960円の浄財は、大震災翌日から現地入りして被災者の病気と怪我(けが)の治療を続けた、本教ともご縁の深い国際医療NGOのAMDA(アムダ)に全額届けて役立てられました。ご協力をいただいた方々に、この場を借りて心からお礼を申し上げて、東日本大震災街頭募金活動の報告とさせていただきます。そして、この大惨事を被災地の皆さんが一日も早く乗り越えられることを心から祈念いたします。有り難うございました。