奉祈
東北地方太平洋沖地震
犠牲者追悼、被災者回復
平成23年4月号掲載
未曽有の被害をもたらした大震災の犠牲になった人々の御霊(みたま)安からんことを衷心より祈り奉るとともに、被災されたすべての方々の心身の深い傷みが早く癒やされますように心からお祈りいたします。
天地自然の恐るべき威力の前に、ただただ言葉もありません。生命(いのち)を生かし育んでくれるのも自然の大いなるはたらきなら、そのあまりにも大きな力ゆえに、今回のような猛威と恐れおののかざるを得ない強い影響をもたらすのも自然だということを、言い訳無用に突き付けられた思いです。四季折々の生み出す豊かな恵みに感謝するとともに、火山列島ならではの厳しさにひれ伏すような心で、わが国の先人たちは森羅万象のはたらきを八百萬神(やおよろずのかみ)と称(たた)え、そのすべての本たる太陽を天照大御神と崇(あが)めて、慎み、畏(かしこ)み(恐み・怖み)奉ってきた惟神(かむながら)の道が神道であると、今さらながらに実感させられますが、増える一方の身失せし人と行方不明の人の数の多さに呆然(ぼうぜん)とするばかりです。
実は、3・11当日、私は上京中でした。原宿の東郷記念会館(東郷元帥を祀(まつ)る東郷神社境内)を会場に開かれた教派神道連合会の定例理事会において、当番教団として座長をつとめていた時、突如大きく長い揺れに襲われました。あまりにも長く続いた横揺れと、小康状態の隙に屋外の安全な場所に避難している時に体感した、まるで水に浮かんだ板の上を歩いているような感覚が今も蘇(よみがえ)って来ます。お守護(まも)りいただいたおかげで、身に危険を感じることはなく、出席者一同沈着冷静に対応することができました。事実、余震が沈静化してから会議を再開して、予定どおりの議事を終えてから散会しました。ただ、首都圏の場合、それからが大変で、交通網と通信網が遮断・制限されたたため、連絡が取れない人や、自宅まで帰れない多くの人たちが、何度も続く大きな余震におびえながら不安な夜を過ごしました。私は、これまた幸いにも一時間ほど歩けば到着でる大教会所まで、かなり早いうちに帰り着くことができ、しっかり休んでから、早朝から運転を再開した地下鉄と新幹線を乗り継いで無事岡山に帰ることができました。
おかげさまで、前日から開催されていた黒住教協議会の閉会までに神道山に戻れたので、議員各位に地震発生時の報告と今後の取り組みについてお話しすることもできました。
緊急の事態であるとともに長期に亘(わた)ることは必至の一大事ですので、まだ情報を集めている段階ですが、何はともあれ、13日に神道山・大教殿での御会日(ごかいじつ)(日曜日の午前10時の祈り)にて「東北地方太平洋沖地震 被災者慰霊・復興祈願祝詞(のりと)」を奏上し、同じ祝詞を全国の教会所に発送して祈りを捧(ささ)げるように呼び掛けるとともに、各教会所での義援金の募集を開始しました。同日、私が事務局長をつとめるRNN人道援助宗教NGOネットワークの仲間たちが終日街頭募金を行い、翌14日からは平日ということで夕方の2時間に絞って、諸宗教協力による募金活動を実施しています。当面、期限を定めずに続けていくつもりで、本教からは地震前から帰省していた長男の宗芳をはじめとした若い世代を中心に、連日10名ほどが駅前と商店街に立って被災者救援の協力を呼び掛けています。また、春分の日の春季祖霊祭では、大教殿祖霊殿をはじめ全国の教会所の祖霊舎において「大震災犠牲者慰霊告辞」が捧げられました。
教団として被災者のために「何ができるか、何をすべききか」は、目下検討中です。16年前に神戸で炊き出し奉仕ができたのは、現地に拠点があり、岡山からピストン運行が可能な距離だったからであり、今回も現地入りして行う支援活動が実施できるかというと、かなり厳しそうです。本原稿執筆時点としては、被災して困っておられる方からの直接の情報をお聞きして、具体的な今後の対策を考えたいと思っています。
最後に御神幸(ごしんこう)についてですが、元より「世界大和(たいわ)と万民和楽(ばんみんわらく)」を祈って行われる神事を、大震災直後の今年は「天地のご安泰と国土の平安」を明確に掲げて、謹んで厳粛につとめさせていただきます。こうした特別の御神幸が、戦後の復興を祈願して復活された時から数えて60回目に斎行されるというご神慮の凄(すご)さに、ただただ身を固くする思いです。なお、御神幸前日の4月2日、教祖大祭(午後1時30分祭典開始)に併せて「大震災犠牲者追悼慰霊祭」が執行されます。
ともに一層“祈りと奉仕の誠”を捧げてまいりましょう。
※本教の別派独立(明治9年)を端緒に、明治新政府から公認された神道系教団である教派神道による連合会。明治28年に成立。