「明則誠(明らかなれば、すなわち誠なり)」
平成23年1月号掲載謹賀新年

昨年12月14日、明誠学院高等学校(岡山市北区)で開かれた教職員とPTA関係者を対象にした教育講演会に講師として招かれ、「三喜の心で」と題してお話しする機会をいただきました。
校名の元となった「明則誠(明らかなれば、すなわち誠なり)」(儒教の「四書」の一つ「中庸」より)に則(のっと)り、「誠を明らかにする努力の道を日々実践している」という中村弘毅校長からの依頼文には、「講演に期待すること」として、以下の点が列記してありました。
・誠とは:明誠に絡めて
・徳を積む努力の大切:知識を備えるだけでなく、心豊かな人
・社会の一員としての自覚:規則、ルールに頼らない行動規範を身につけてもらいたい。
→ 人が見ていようがいまいが、正しい行動のできる人
・日本人としての心構え:郷土、国を愛する心をもつ人
そして、「※ 御七カ条…心に誠なき事→学校副理事長が感激」と付記してありました。
岡山における本教に対する信頼と期待の大きさを改めて有り難く感じながら、「三喜の心で」という演題と講演要旨が自然と浮かんでまいりました。
教祖様が、後に「わが国の信心のこころをよめる」と副題を添えて清書なさった「有り難きまた面白き嬉(うれ)しきとみきをそのうぞ誠なりけれ」の“みき(三喜)”の御神詠は、即吟された時の逸話(いつわ)といい、その教えの深さといい、加えて英語に翻訳した際の普遍性といい、特にお道の話を初めて聞く人に対して「誠」を親しみやすく説くことのできる最適の御教えです。
「有り難き」、「面白き」、「嬉しき」の三つの“き”を御神酒(おみき)になぞらえて、神前に供(そな)えると同時に心に備(そな)えもつ大切を明るくユーモラスに説き明かされた「誠」の定義。そして、その御歌を英訳する際に気付かされたのが、三つの“き”は、人の心を開く三つの“キー(鍵)”でもあったということでした。その英語訳は次の散文です。
A sense of Gratitude along with feelings of wonder and joy
Will, if we maintain all three keys, bring us True Sincerity
「thank you(サンキュー)ぐらいは分かると思ったんだが…」という方もいらっしゃるかもしれませんが、「有り難き」は「gratitude(感謝)」、そして「面白き」は「wonder(興味)」、「嬉しき」は「joy(歓喜)」が、英語としては的確です。そこには一つの「き」もありませんし、当然「御神酒」にも結びつかないのですが、一緒に知恵を絞ってくれた米国人学者のおかげで「threekeys(三つのカギ)」という“キーワード”を教えられたのは感激でした。
この「三喜の心」を“道の緒(いとぐち)”として、「誠の本体は天照大御神の御心なり」、そして「わが本心は天照大御神の分心(ぶんしん)なれば、心の神を大事につかまつり候(そうら)えば、これぞまことの心なり」と、「ご分心」の存在を明らかにして下さった教祖様の御教えの根本を説くことができます。その結果、「誠」はいわゆる「誠意、誠実、正直」に止(とど)まらず、その字のごとく人の「まごころ(真心)」であり、その「真の心」が「昇る朝日に顕現される、森羅万象すべてのいのちの大元たる天照大御神の分心」だからこそ、「心明らかなるときは、すなわち天照大御神わが一心にあらわれ給(たま)いて、運をそえ給うこと疑いあるべからず。ありがたし、ありがたし、ありがたし」と御教え下さった「心明らかなれば、すなわち誠」という、本教ならではの「明則誠」の解釈をすることができると考えました。
「誠を尽くす」ことは「ご分心」のはたらきそのものですから、その座所である自らの心を、お日さまのように丸く、大きく、明るく、あたたかく、逞(たくま)しい本来の姿に養い育てる「人となるの道」である本教の教えは、先述の校長の期待に十分お応(こた)えできます。具体的には、「誠はまること」と御教えの「与えるところに与えられる」循環のはたらきを、学生たちがボランティア活動を通して体験して、「させていただく」という“奉仕の精神”を経験して学ぶ機会を与えてもらいたいと要望しました。また、「黒住教のあらまし」と、「道端感謝-豊かな心は“気づき”から-」を副読本として用いて、関連するページを紹介しながら話を進めました。
おかげさまで、中村校長以下、皆様にとても喜んでいただくことができました。
昨年に続いて本年の修行目標は「お導きいただいて200年広めよう、教祖様とのご神縁」です。立教200年の平成26年まで三年、一人ひとりできるところから道の誠を尽くしてまいりましょう!