教祖様との“繋(つな)ぎ手”になろう④ -「お見舞いお取り次ぎ」について-

平成22年6月号掲載

 少し間が空きましたが、本稿で教祖様との“繋ぎ手”を呼び掛けさせていただいている第4回として、今月は「お見舞いお取り次ぎ」を紹介いたします。
 東京支庁長・東京大教会所所長を拝命以来、私は本稿末の「東京支庁だより」に、「『お見舞いお取り次ぎ』をご希望の方は、教会所までご一報下さい」というご案内を、毎月欠かさず掲載させていただいています。「お見舞いお取り次ぎ」とは、その名の通り、入院中の方や自宅療養中の方、また、高齢になって教会所にお参りできなくなった方を、「お見舞い」して「(教祖様に)お取り次ぎ」申し上げることです。何ら難しいことでも特別なことでもありませんが、“個化”とか“無縁社会”などと呼ばれる孤独な人があふれる時代になって、寂しい思いをしている方を見舞ってゆっくり話を聞いて差し上げて、その方が教祖様にしっかりお守り・お導きいただけるようにお祈りする「お見舞いお取り次ぎ」が、ますます重要かつ必要になっていると実感しています。
 黒住教教師各位には、ご祈念をつとめて直禁厭(じきまじない)にて「お取り次ぎ」していただけますが、お見舞いした方を思いながら、その人のために祈ることは誰(だれ)でもつとめることができます。「まることの生活信条」として「人のために祈ろう」を拝戴(はいたい)する私たち黒住教道づれにとって、自分と家族以外で何人の方のことをお祈りさせていただいているかは、日々の大切な修行目標でもあります。
 数年前、教主様が本教婦人会会員の皆様に次のように呼び掛けて下さいました。
 「どうぞ、皆様方の周りに『Aさんが病気で苦しんでいます』『Bさんが独居老人で、一人寂しくしております』『Cさんが息子のことで悩んでいます』『Dさんが商売がうまくいかず苦しんでいます』そういう方があっら、どうぞそのAさん、Bさん、Cさん、Dさんの顔を目に浮かべながらお祓いを上げて差し上げて下さい。そして、足をたてて訪ねて話し相手になって差し上げて下さい。さらにそれにとどまらず、そのA さん、Bさん、Cさん、Dさんのお名前を、今ごろはファックスもあるし、ハガキでもよろしいから、大教殿に伝えて下さい。そのファックスを、またハガキを、そのまま御神前にお供えして、毎朝の御日拝の後のご拝の時に、あなたがAさん、Bさん、Cさん、Dさんのためにお祈りなさるように、私どももあなたの後ろからその方々のためにお祈りさせていただきます。そうした心を今一番求めている人の多い今日の世の中なのです。どうぞ、そういう方のためにお祈りのできるお道づれであっていただきたい」 (平成17年婦人会総会での御親教より)
 教主様からお示しいただいたこの道ごころこそ、今回改めてご案内する「お見舞いお取り次ぎ」の精神そのものです。なにとぞ、「お道づれ」の名の通りの助け合い、支え合い、導き合える道の仲間として、ともに誠を尽くしていただきますよう、心からお願い申し上げる次第です。
 なお、前回の「教祖様との“繋ぎ手”になろう③」(本誌平成21年10月号)で紹介いたしました「養心塾東京講座『道の端緒(はじめ)」が、今年は来る7月19日(海の日)と8月7日(土)に東京大教会所を会場に開講されます。詳細はinfo@kurozumikyo-tk.comまでお申し付け下さい。首都圏在住の方の受講をお待ちしています。