宇治橋渡始式に参列して
平成21年12月号掲載
去る11月3日、日本晴れの明治節(文化の日)に、来る第62回伊勢神宮式年遷宮の先駆けの竣工行事といえる内宮(ないくう)宇治橋の渡始(わたりはじめ)式が執り行われ、特別参拝者としてご案内のあった教主様の名代としての私と、私の代理としての長男の宗芳が、随行の勝部盛行原鹿大教会所(島根県)所長と林直樹大阪大教会所(大阪市)副所長とともに参列参拝いたしました。ちょうど20年前のこの日に、教主様のお供をして前回の同じ神事に参拝できていた私にとって、実に感慨深くも有り難い2度目の渡始式でした。
神域との結界である宇治橋の守護神を祀(まつ)る饗土橋姫(あえどはしひめ)神社に新橋(にいばし)竣工が奉告され、万度麻(まんどぬさ)という神札が欄干の擬宝珠(ぎぼし)に納められ後、旧神領地から選ばれた渡女(わたりめ)を先頭に、その夫と息子夫婦・孫夫婦の三代夫婦、大宮司様以下の祭典奉仕者、施工に携わった技師・職人、全国から選ばれた58組の三代夫婦、そして祭主池田厚子様と特別参拝者以下、約1000人の参列者が粛々と渡り始めを行うのが式次第のあらましです。かつて、式年遷宮が100年もの長きにわたって中止を余儀なくされた戦国の時代にあっても、宇治橋の架け替えは行われていたことが後の再興に繋(つな)がったという前例と、昭和24年が当年であった第59回式年遷宮が、戦後間もないことを慮(おもんばか)られた昭和天皇陛下の御心により4年先延べになった際にも宇治橋だけはその年に竣工されたことから、渡始式は御遷宮への “懸け橋” でもある大切な御祭りです。同時に「供奉三夫婦(ぐぶのみふうふ)」と称(たた)えられる全国からの三代夫婦の参列は世代間の “橋渡し” の象徴で、今回招かれた家族の内、兵庫県代表として日置教会所所属のお道づれ一家と、香川県代表として高松中教会所のお道づれがいらっしゃったという、めでたくも嬉(うれ)しいご縁がありました。
20年前の平成元年11月3日に撮った父(教主様)とのツーショットとほぼ同じ構図の写真を、いま息子と2人で本誌上に掲載される幸せを感じていますが、この度の渡始式に宗芳と参列できて、連綿と受け継がれている1300年の伝統の中に、刻々と刻まれている“今・ここ”という瞬間の“妙”をひしひしと感じました。私事になりますが、前回のこの御祭りを報告した本稿にて、奇しくも初めて紹介したのが私の婚約を知らせる記事でした。「あれから20年…」と、普段は気に掛けない時の流れに、自然と思いを馳(は)せた私の気持ちを汲(く)んでいただけると嬉しいのですが、それは同時に、長男にとっては「次の渡始式は、もしかすると自分の子供と参列することになっているのかも…」といった将来を初めて想像した瞬間でもあったようです。
「生き通しは、現在只今(ただいま)なり」との、教祖様の御教えを日ごろ何度も説教させていただきながら、今回ほど「永遠の中の今」と「今の積み重ねが悠久の歴史」ということを実感したことはありませんでした。
本稿が宇治橋渡始式と関連行事の詳細な報告記事には役立っていないことを申し訳なく思いながら、あまりにも刹那的(せつなてき)に慌ただしく目先の対処に追われがちな現代に生きる私たちに、歴史と伝統の大切さを改めて気付かせていただいた神機として、この度の渡始式で私自身が深い学びを得たものですから、個人的な気持ちを吐露した次第です。
いよいよ第62回式年遷宮までまる4年、そして本教立教200年の大きな節目までちょうど5年という、掛け替えのない重大な時をともに過ごさせていただける喜びを感じながら、「今できること、なすべきことは何か…」を問いながら道の誠を尽くす黒住教道づれとして、ともに歩ませていただきたいと思います。明くる年も、何卒(なにとぞ)よろしくお願い申し上げます。