広島での祈り
平成21年9月号掲載
昨年に続いて、私は8月6日に広島を訪れました。副会長を仰せつかっている世界連邦日本宗教委員会と、評議員をつとめる世界宗教者平和会議日本委員会の非武装・和解委員会が、広島と長崎の原爆忌に慰霊参拝の代表を派遣しており、ここ数年、私は広島への参拝を続けているのです。
原爆投下時刻の午前8時15分に黙祷(もくとう)を捧(ささ)げる「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式(平和記念式典)」への参列はもちろんですが、実は、この式典に先駆けて午前6時15分から平和公園内の原爆供養塔前で執り行われる「原爆死没者慰霊行事」(広島戦災供養会主催)に、私は県外宗教者の代表として参列させていただいています。広島県宗教連盟が奉仕するこの慰霊行事は、わが国ならではの宗教行事で、数年前に初めてお参りしたとき、私は純粋な感銘を受けました。
開式とともに、まず広島県神社庁の神職の方々が慰霊塔前に参進して神道式による慰霊祭をつとめます。祓いと清めの厳かな神事の後、鎮魂歌(レクイエム)の唱和とともに整列したカトリックとプロテスタントのキリスト教指導者が合同でミサを行います。招魂の祈りを思わせる礼拝に続いて、仏教諸派の僧侶による読経が流れ、慰霊法要が行われるのです。ご遺族に続いて、私は来賓の一人として毎年焼香(または献花)をさせていただいていますが、今年は一緒に焼香した方々が長崎県宗教懇話会会長の野下千年カトリック教会司祭と日本聖公会横浜教区の三鍋裕主教という二人のキリスト者でした。諸宗教による合同慰霊行事ならではの、焼香には不慣れな三人の来賓宗教者による参拝でした。
その後、テレビで全国放映される「平和記念式典」に、一般参列者として今年も列席しました。死没者に対する慰霊であることは申し上げるまでもありませんが、私は人類史上初めて原子爆弾が使用された当地で、長崎の犠牲者にも当然思いを馳(は)せながら、核兵器という地球の生態系を根本から破壊する無差別大量殺人兵器が、今後決して用いられることのない世界であるように心から願い祈り、そして平和を誓います。
ややもすれば、世界の非核化を訴えることと武装放棄の主張とが混同され、「核兵器反対=現実離れの平和主義」と考えられがちですが、それは短絡的すぎると思います。「非武装・和解」なる委員会に所属する私ですが、否応(いやおう)なしの現実として自衛のための備えは必要であると思っています。ただ、これまた短絡的にその立場が、いわゆる「平和のための核の抑止力」の肯定、すなわち核武装の正当化になってはならないと思うのです。
核兵器の小型化と拡散、そして核開発技術漏洩(ろうえい)の危険性、また老朽化の一途を辿(たど)る膨大な数の核弾頭の存在等、核廃絶への道は遠のくばかりです。一方、混同して考えてはいけませんが、今や現代人にとって欠くことのできない原子力エネルギー、すなわち核の平和利用の問題もあり、素人が口出しできるような単純な話ではないことは明らかです。それでも、核兵器に対して断固否定する
姿勢を貫かなければならない義務と責任が、世界で唯一の被爆国である私たち日本人には課せられていると確信しています。
毎年8月には先の大戦について多くのテレビ番組が放映されますが、今年は、例年以上に元兵士の方々の証言が紹介されていたように感じました。「今、伝えておかねば…」との思いが、今まで固く閉ざしていたお年寄りの口を開かせていることを強く感じて、私は時間の許す限り彼らの体験談に耳を傾けました。戦争を知らない世代だからこそ、短絡的な考えに陥らない平和構築者でありたいと思っています。