社会人としての生き方

平成21年6月号掲載

 私は、数年前から岡山経済同友会教育問題委員会の副委員長を仰せつかっています。このたび、岡山市立岡山後楽館高等学校への派遣講師として、「社会人としての生き方」と題して講義をする機会をいただきました。本稿では、その要旨を紹介いたします。

 いま、私たちは非常に便利な時代に生きています。様々(さまざま)な分野で技術の研究と開発が進み、物質的に大変恵まれていることはとても有り難いことですが、「お金さえあればどうにでもなる」とか、「他人の世話になんかならなくても勝手に生きられる」とか、そんな思い違いをしている人が、おとなの中にも増えてきました。いつの時代も、人は単独(ひとりぼっち)では生きてはいけません。自分は“社会の中の一員”であるという「社会人としての生き方の基本」を、おとなもこどもも、現代人の誰(だれ)もが考え直さなければならないと思います。とりわけ、“こども”というと失礼かもしれませんが、保護者のもとで育ててもらっている立場である学生の皆さんには、みんな社会の中で互いに助け合い支え合って生きているという、「おかげさま」と「お互いさま」を自覚した“おとな”として自立してもらいたいと願っています。
 ところで、私たちは何のために働くのでしょうか?
 この時代、「お金のため」と答える人が圧倒的なのかもしれませんが、それは違います。お金はあくまでも働いた報酬という結果であって、目的ではありません。これは、特に現代人が勘違いしやすい“落とし穴”ですから、要注意です。
 では、何のために働くのか…。それは、明らかに「食べるため」、すなわち「生きるため」です。いま現在、世界の多くの国や地域に、きょう一日を生き延びるために必死で働いている人たちがたくさんいます。家族を支えるために、こどもたちだって懸命に働いていることは、皆さんもご存じの通りです。彼らに比べて自分たちがいかに恵まれているかということに感謝して、働くことの大切さや働けることの喜びに気付くことができれば、わざわざ「何のために働くのか」など考える必要もないのかもしれません。ただ、「働かなくても生きられるし、食べることにも不自由しない」とか「必要なときにアルバイトでもすれば、とりあえず生活はできる」といった考え方が、「未曾有(みぞう)の危機」といわれるほどの経済状況下でも依然として通用するほど“超”恵まれた今の日本では、「食べるため、生きるため」が働くことの目的だと言っても、その真意が伝わらないのが、残念ながら現実だと思います。また、そうでなくても人間関係が疎遠になりがちなこの時代に、「自分が、食べるため、生きるため」という発想だけでは、個人の利己心を煽(あお)ることに終始しかねません。
 考えてみれば、きょう一日を生き抜くために働いている人たちほど、「自分だけが食べられればいい」などとは考えていないはずです。自分一人で生きることなど到底できない厳しい毎日を、家族や集団という社会の中で、彼らは力を合わせて精いっぱい生きているに違いないのです。
 技術の進歩のおかげで、幸いにして便利で楽な生活ができているだけで、人間社会の根本的な仕組みはそれほど変わるものではありません。結局は、社会の一員として一人ひとりが請け負う「つとめ:勤め・務め」を果たすことが働くという行為であり、その目的は「ともに食べるため、ともに生きるため」なのだと思います。仕事や職業は、そうした「勤務(つとめ)」を専門的に行うことであり、その報酬として「“しっかり稼(かせ)ぐこと”を遠慮する必要はない」と言っても叱(しか)られないと思っています。真剣に働くことは、自分自身に達成感をもたらすとともに世の中に活力を与えるのです。
 これから社会人として、職業人として羽ばたいて行かれる皆さんに、生き甲斐(がい)をもって人生を歩んでもらいたいという願いと期待を込めてお話しした次第です。