共有される安全保障(Shared Security) ―G8サミットへの提言会議報告―

平成20年9月号掲載
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 本誌先月号で紹介されましたように、去る7月2日と3日、札幌市で「平和のために提言する世界宗教者会議~G8北海道・洞爺湖サミットに向けて~」が開かれ、私は会議全体の実行委員と提言書の起草委員、そして『核兵器の廃絶に向けて』をテーマとしたパネリストという要職をつとめさせていただきました。
 わずか2日間の会議でしたが、半年間にわたり国内外の実行委員が電子メールとファックスを駆使して何度もやり取りして練り上げてきた提言書の案文に、出席者がさらに意見を加えるという会議でしたから、かなり深く協議のできた提言書をサミット議長である福田首相に手渡すことができました。事実、東京新聞に掲載されましたように(本誌先月号に転載)、唯一の被爆国・日本での開催ということで「核兵器の全面廃絶」が提言に盛り込まれたのですが、その過程で核保有国の出席者、特に起草委員の一人であったロシア正教の代表との意見交換は数時間に及びました。「今日、明日の廃絶を求めているわけではない・・・」、「いつの日か核兵器のない世界が実現することを願う、その思いを分かち合ってもらいたい・・・」と腰をすえて説明して、軽々に承認することで母国の政策に抵触することを危惧(きぐ)する先方の理解を粘り強く求めました。結局、英文による最終案がまとまったのは午前3時、日本語への翻訳作業は事務局に任せましたが、五人の起草委員の一人として貴重な宗教対話の現場に身を置くことのできたことを本当に有り難く思っています。起草委員は、ロシアサミットに対して諸宗教会議を主催したロシア正教のチャプリン渉外部長、ドイツサミットに際しての会議を主催したドイツ福音派教会協議会のアフォルデルバッハ氏、WCRP(世界宗教者平和会議)国際委員会のベンドレイ事務総長、そしてWCRP日本委員会平和研究所所長の眞田芳憲中央大学名誉教授と私でした。
 そして仮眠程度で臨んだ2日目最初の全体会議で、私がパネリストとして発言したのが、起草委員会で最も時間を要した「核兵器廃絶」に関する発題でした。私が所属するWCRP「非武装・和解委員会」の総意に個人的見解を加えた発表の要旨を紹介させていただきます。

現在、世界は今なお、全人類を何回も破滅させる可能性のある約2万6千発の核兵器弾頭の恐怖にさらされている。そのうちアメリカ、ロシアにより作戦配備されている弾頭数は一万発を数える。核兵器廃絶の方向へ勇気ある一歩を踏み出せない世界で、私たちは留(とど)まるところを知らないテロ、暴力の応酬が繰り返される混沌(こんとん)の中、核兵器、製造技術が拡散しかねない脅威の中に生きている。そして、テロ攻撃や大量破壊兵器の脅威に対する選択としての核兵器による先制攻撃や、ミサイル防衛システムへの対抗措置としての核兵器使用の可能性が示唆されるとともに、既存兵器の老朽化という現実もあいまって、一層の核兵器の小型化と近代化、さらなる開発研究が進められるという状況下で、今、人類社会は極めて不安定な状況に置かれている。
折しも本会議場に私たちが集うわずか8日前、6月26日に「6カ国協議」の成果として北朝鮮による核開発の申告がなされ、その証(あかし)として冷却塔の破壊が日本・中国・米国の代表の前でデモンストレーションされた。以後45日間の精査を経て、申告通りであれば、米国は北朝鮮をテロ支援国家リストから除外するとの見通しとなっている。しかし、今回の申告には北朝鮮が保有していると信じられている核兵器については何ら言及されていない。ここで深く憂慮されねばならないことは、このまま核兵器の申告がなされないまま、この国がテロ支援国家リストから除外されれば、北朝鮮による核兵器保有を世界が容認する状況を生み出してしまう。このような状況の中で、私たちは例外なき核兵器廃絶への道を切り開かねば、いかなる物理的圧力をもってしても北朝鮮に核兵器廃絶を迫る正当性は失われてしまう。私たち世界の宗教者に課せられた課題は、極めて重要。
私たちは今こそ、世界宗教者平和会議のもてるネットワークの総力を挙げて、世界の世論の方向性を大きく切り替えていく一大先頭に立つ決定をすべきときが到来しているように感じる。私たちが心からミレニアム開発目標の実現を願い、われわれの子々孫々に健全にして豊かな自然を真に望むのであれば、私たちは死ぬことよりも生きることを、軍事費により多くの資源をつぎ込むよりも耕作の恵みをもたらす鋤(すき)や鍬(くわ)を増やさねばならない。幸い私たちは、世界各界の指導者の友人と力を合わせる素晴らしい平和へのパートナーが、この日本のイニシアチブで生まれたことを知っている。
まず、世界120カ国、1,587都市にまで広がりを見せている、核兵器のない世界の創造を目指して努力している広島市長、長崎市長の献身的リーダーシップにより育てられてきた「平和市長会議」について触れたい。「2020ビジョン」と呼ばれるこの取り組みについては、昨日の基調講演の中で大谷光真門主もご指摘になり、当地札幌市がまさに本年加盟したことを、昨日市長の挨拶(あいさつ)で知った。 この四月から五月にかけ、私は2010年のNPT(核不拡散)再検討会議準備会議にWCRP国際委員会からの呼び掛けもあり、参加させていただいた。この会議に出席して、私は確かに核兵器から解放された世界の創造に向けた確かな意思が、加盟国政府の中にも生まれつつあることを肌身で感じ取ることができた。宗教家を含む世界の核廃絶に取り組むNGO、および市民グループは、その長年の取り組みの成果として確実に核兵器禁止条約採択の可能性を加盟国政府に感じさせるところまで、ようやく到達しつつあることを実感した。いよいよここが正念場。世界の宗教者のネットワークが生み出す力強い平和への祈りと提言をもって、世界が核兵器から解放され、すべての国、そしてすべての人々が共に生きられる、生かそうとする世界をつくろうではないか。
そのために、核不拡散条約の徹底的実施と、NPT未加盟の核保有国の加盟促進、そして核の保有を認めていない国に対して保有の事実発表を求め、廃絶へ向けての行動を促すことをG8諸国に求めたい。例外なき平等性が守られることが約束を形骸(けいがい)化させないために必要なことは、NPTも例外ではないと信じる。
今、世界では、世界の政治指導者と世界の宗教指導者の平和に向けた一大運動が起こりうることを予感させる。今、国連を中心として「諸宗教間対話・協力の国連十年」構想の実現化に向けての大きな動きが起こりつつある。この構想が実現されれば、その2011年は奇しくも平和市長会議が2020年までに世界からの核兵器を廃絶させることを目指す第一歩として核兵器禁止条約の採択が目指されているNPT再検討会議の開催される2010年の翌年にあたる。それは、市長会議が2011年からの十年間の間に、この人類の悲願を達成させるための運動を展開する十年間にもあたる。私は、現在提案されその実現化が進められているこの2011年から始まる十年間を「核兵器廃絶のための国連十年」とできるよう提案したいと思っている。20数万の原爆犠牲者、劣化ウラン弾の犠牲者、何百回となく繰り返された核実験にさらされ散っていった尊いかけがえのないいのちに私は思いを馳(は)せる。原爆被爆に遭った私たちの同胞は、それから63年が経過する。この長い間、幾多の言葉に表現することもできない苦痛の中、被爆者はその苦しみから逃れるための死を選ぶかわりに、二度とこの惨禍を繰り返させない願いを訴え続けるために生き続けることを選んだとの体験も聞いた。しかしその命も大部分が灯(とも)り切ろうとしている。皮肉なことだが、世界で貯蔵され、また配備されている核兵器も60数年の年月を経て、使用不可能な老朽化の時代を迎えている。今、この老齢化した核弾頭に永遠の別れを告げ、これまで平和のために献身してきた多くの被爆者が、真に平和な世界を開くかけがえのない働きをされたことに対して、私たち宗教者からの永遠のプレゼントを贈りたいと願う。さらに、“悪魔の兵器”とも言われるクラスター爆弾の完全廃絶も、この場を借りて訴えたい。(中略)
とりわけ青年層への啓発は重要。皮肉なことながら、63年という歳月は核兵器の脅威を風化させるにも十分な時間となりつつある。歴史上の事実として学び知っていても、その恐怖を実感できないこれからの世代に対して、核兵器のない時代の必要性を真摯(しんし)に伝えていかねばならない義務が私たち大人には課せられている。建設的な叡知(えいち)があれば、皆様と分かち合いたい。
最後に、ジュネーブで私が発言の機会を与えられた会議で紹介した、私の宗教的背景である日本の神道における考え方の一端を紹介したい。 「私たちの信仰では、私たちのかけがえのないいのちは、大いなる天地自然より与えられた尊い存在であると信じている。私たちは自分の力で生きているのではなく、この大いなる宇宙の恵みにより生かされて生きていると、感謝をもって理解している。それ故に、私たち人間は、生かされている御恩に報いるべく、感謝の思いをもって他者のために尽くすことを生きる上での基本と心得ている。このような基本的な立場から、核兵器が今のまま存続を認められていくことは、私たちの信条とは相容(あいい)れない、それどころか逆行することであると信じる。無差別的にすべてのいのちと、その基盤を形成する地球的生態系一切を破壊しつくしてしまう核兵器の存在を、私たちは到底容認することはできない」

 その後、全員一致で採択された提言書の主題は「共有される安全保障(Shared Security)」でした。「すべての人々と自然環境との間の根本的相互関係に焦点を合わせることによって築かれる、人間安全保障の基本概念」として提言書の中で繰り返し力説された「共有」というキーワード(重要語)が、首脳サミットに影響を与えたのかどうかは知る由もありませんが、4日後に開会されたG8サミットのキーワードと同じであったことを、携わった者として感慨深く思っています。7月9日付けの読売新聞によると、「最後まで残った争点は、日本政府が主張していた(温室効果ガス削減の)長期目標を『共有する(share)』という言葉だった。米政府は、目標受け入れが『望ましい(desirable)』とするよう主張。福田首相はブッシュ米大統領に自ら電話をかけ、歩み寄りを要請した。(中略)この結果、G8は温暖化に関する首脳宣言の内容で事務レベルの合意に到達(後略)」とありました。
 「共有」によって初めて「共生」できることを深く考えさせられた、この度の会議でありました。

追伸
8月6日、私はWCRPを代表して広島を訪れました。午前6時15分から行われた広島県宗教連盟による原爆供養塔前での慰霊式典に参列して、来賓代表の一人として参拝、引き続いて午前八時から、広島市主催による原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に参列いたしました。平成20年8月6日午前8時15分、爆心地に立って、昭和同年同月同日同時刻に思いを馳せながら、先人の苦労と悲しみ、苦痛の上にある今の平和の有り難さを噛(か)みしめ、核兵器の廃絶を心から願って、謹んで哀悼の祈りを捧(ささ)げました。