“子(ね)は値の根”

平成20年2月号掲載

 本誌「御教えをいただく」の今月号までの5回を通して、先に発表した「道の七首」の基(もとい)となる御教えを解説いたしました。“教えの根本”を「五つの誠」別に整理したものです。昨年10月号から今月号までを、まずは通して精読していただきたいと思います。

 「“おかげ”ってなんですか?」と、今までに何度尋ねられたことでしょう。そのたびに、「いわゆる“奇跡”だけが“おかげ”ではないこと」、「少し考えれば、今、こうして生きている(実は、生かされている)こと自体が“奇跡的”、すなわち“おかげ”だと気付くはず…」、そして「科学だけでは解明できない“人智を超えた働き”も、当然ある(実在する)こと」を話してきました。すると決まって、次の質問は“祈りの効果”に及びます。「本当に祈りは通じるのか…?」、「何に対して、またどうやって祈るのか…?」等々。“日の教え”である本教としての回答を、どうかしっかりと心得ていただきたく存じます。
 同様に、「なぜ信仰をするのか?」、「宗教は必要なのか?」という質問もたびたび受けます。現代日本ならではの疑問だと思いますが、健全な信仰の尊さを伝えて現代日本人の“宗教心の回復”につとめることは私たち宗教者の使命です。宗教の大事を知らないが故(ゆえ)の、安易な“無神論化”(例えば、昨年話題になった「千の風になって」も、単なる“お墓軽視”の助長になりかねません)や、相も変わらず“先祖霊の祟(たた)り”ばかりを強調する悪徳商法の横行、さらには最近流行の怪しげな“スピリチュアル・ブーム”(以前に本稿で紹介した、神聖な神性・霊性・徳性・精神性をさす“スピリチュアル性”とはかけ離れたもの)等に対して、“孝心”によって信仰心の尊さを明言できるのが、わが国の伝統に根ざした本教の特質です。
 一方、今月号に記しましたように、今まで“言うまでもない”であったことを“言わざるを得ない”のも、時代としか言いようがなく、“言わずもがな”とも思えることにまで言及しました。
 本来、人助けに理由など必要な い は ずですが、敢(あ)えて御教えを元に“いかす(活かす・生かす)”を本教における「〈奉仕の誠〉の基本精神」として掲げました。そして、古くから慣例的に用いられてきた本教独自の言葉である“ありがとうなる”こそ、今の時代に必要とされる教えと確信して、まるで教祖様の御神詠のように今まで多くのお道づれから親しまれてきた応武先生の御歌を教えとしていただきました。最後は、俗な表現で恐縮ですが、「人の道」とは“やってなんぼ(実践しないと値打ちなし)”という姿勢が明確に、そして辛(しん)らつに示された道歌で締めくくりました。
 ここで、補足として「御教えをいただく」の昨年7月号から9月号を改めて読んでみて下さい(無記名の執筆につき、「副教主様」と表記している点をご容赦(ようしゃ)下さい)。これは、若い世代や黒住教の教えを知らない方に向けて発表した「七首の道の入り口」の基となる御教えを解説したものです。信仰手厚いお道づれ各位には、それこそ“言うまでもない”ことだと思いますが、実は、この言葉遊びのような「七首の道の入り口」とその説明に対して、私の講義を受けた一般学生や友人たちから、思いがけないほど好感触の反応が返ってくるのです。改めて、教祖様の御教えが若い世代を含めて現代人に必要な生き方の指針だと確信することです。要は、伝え方次第だと思っています。
 「子は値の根 値打ちを決める 第一歩」子年の年頭に、教主様の御書き初め「深根固抵(しんこんこてい」を学びながら浮かんだ発句です。立教200年に向けた大切な6年間の第1歩とすべく、“教えの根本”を学びなおしていただければ幸いです。