御教え
神風や伊勢とこことは隔つれど
心は宮の内にこそあれ(御歌九六号)
第一句の「神風や」は「伊勢」にかかる枕詞です。「ここ」とは、教祖神のご住居のあった霊地大元(現岡山市北区上中野)です。歌意は、「伊勢(神宮)とここ(大元)とは遠く離れていますが、私の心は神宮の内にあります」となります。
教祖神が重病の際、教祖神の身の回りのお世話をしていた菱川銀治兵衛さんに伊勢代参を命じて、「神宮に何月何日の何刻に参拝できるか」と尋ねられました。銀治兵衛さんは「必ず何月何日の何刻に参拝します」と言って出発しましたが、教祖神は同日同刻に手水を使い、神宮を遥拝し、この御神詠をお詠みになったと伝えられています。そして、天照大御神とご一体の場にあった教祖神ですので、伊勢とここと遠く離れていても、心はいつも宮の内であることを詠じられたのです。
食も喉を通らぬほどの重体であった教祖神は、これを境に快方に向かい、「きょうはめでたい日だから赤飯を炊いてくれ」と奥様である いく様に仰いました。しかし病後で、しかも食べ初めに赤飯では…と思われた奥様が赤がゆにして差し上げたところ、教祖神が大変お喜びになられました。そこで、その後近年まで、説教納めに赤がゆが振る舞われていました。
令和十五年(二〇三三)に斎行されます第六十三回式年遷宮の第一次お木曳行事が今年行われ、本教は六月七日(日)に奉曳のおかげをいただきますが、これはご生涯で六度も伊勢参宮された教祖神の御心に沿うものです。教祖神ご在世当時は交通手段が船と徒歩しかなく、岡山からは往復三十日前後を要し、旅立つ際に水盃を交わすほどの大変な旅で、教祖神の神宮への熱い御心がうかがえます。
その後、嘉永六年(一八五三)には二代宗信様を先頭に「千人参り」、明治時代には「萬人参り」が五回、昭和は二回、平成の御代にも二回と、本教の節目の年に「萬人参り」が行われ、教祖神の御瀬踏に倣って大御神様の御開運を祈ってまいりました。お道の先祖先輩方が神宮にお鎮まりの大御神様とご一体の教祖神が「宮の内」にいらっしゃることを確信していたからに他なりません。私たちもこの御神詠を拝誦し、教祖神の御心に倣ってまいりましょう。
