日の神様へのご拝に、今日も何事も
御かげにて別条ござなく候ようにと、
ご祈願遊ばされ候(御文一〇〇号)
教祖神がわが子のようにかわいがっておられた一森彦六郎氏(教祖神より二十七歳年若)に宛てた御文一〇〇号には「毎朝、東にお向かい遊ばされ、日の神様へのご拝に、今日も何事も御かげにて別条ござなく候ようにと、ご祈願遊ばされ候て、お疑いお晴らし遊ばされ候えば、まことに御大丈夫にござ候。そのお心得に遊ばされ候えば、小子も日々ご拝つかまつり候あいだ、万事ご安心遊ばされくださるべく候」とあります。
現代語訳しますと「毎朝、東にお向かいになって、日の神様(天照大御神)へご拝するときに、今日も何事もおかげをいただいて変わったことがありませんようにと、ご祈願なさって不安な心をお晴らしなさいますと、まことに大丈夫でございます。そのお心得になられますと、私も日々あなた様のことを拝んでいますので、万事ご安心ください」となります。
教祖神は「この道は病直しの道にあらず、心直しの道なり」(御教語)とご教示下さっていますが、心直しに努めるとき、邪魔になるのは臆病、疑い、我欲、そして執着といった心です。そうした邪魔物を祓い去って、大御神様にお任せしなさいと一森氏に端的に御教えになっています。また、心にたるみ無きように日々御日拝をつとめて、大御神様のご神徳の中に生かされて生きている幸せに感謝して「今日も何事もおかげをいただいて変わったことがありませんように」とお祈りすれば大丈夫であるとお示しです。これこそ、日々の祈りの基本といえます。〝お日様教〟である本教にとって、「おかげ」とは「日の御蔭」です。すなわち、日の御光りをしっかり受ける環境を整えることで、一層鮮やかなおかげをいただけるのです。そして何よりも、日の神様とご一体の教祖宗忠神が、今も常に守り導いて下さるのです。
そのためにも、時刻にかかわらず毎朝お日様に向かって、「昇る朝日のように丸く、明るく、勇ましく過ごさせていただきます」と大御神様ご一体の教祖宗忠の神様にお誓いし、夕刻には「おかげさまで、有り難い一日を過ごすことができました。宗忠の神様、有り難うございます」とお礼を申し上げることが、お道信仰の基です。この〝祈りの誠〟をつとめることがより良く生きる道となるのです。
