日々に朝日に向かい心から
限りなき身と思う嬉しさ(御歌一五八号)

 今月の御教えは、御神詠奉賛歌の三番、御日拝時における奉賛歌(御日拝の歌)です。黒住教は「日拝の宗教」で〝お日様教〟といえます。教祖神が御日拝を通して、当時不治の病と恐れられていた肺結核を克服し、御日拝において天照大御神(日の神)とご一体になるという、「天命直授」とお称えする宗教的神秘体験を得られました。そして教祖神は、御日拝に象徴される大御神様の大道を明らかにされ、本教は立教されたのです。

 本教の道づれとして、教祖神の御瀬踏に倣う上で最も大切な修行の一つが「日拝行」です。新鮮な早朝の神気・霊気に包まれて、生かされて生きている自分自身の存在を体感するひとときで、道づれにとって何よりの神聖な祈りの時です。教祖神の御教語の中に「神を拝むには、時刻に拘らず、朝日に向う心にて拝むべし」とありますが、「朝日に向う心」をまずもって知ることが大切です。それは本教の祈りの根本となるからです。そのために、ぜひとも神道山における教主様と同殿共床の御日拝、また教会所における「ついたち御日拝」等に参拝し、「朝日に向う心」の元入れをしていただきたいと思います。

  また、時刻にかかわらず、起床して洗面と着替えを済ませたら、東天のお日様に手を合わせる習慣を身に付けて下さい。その積み重ねこそが、「朝日に向う心」を培い真の祈りの基となるのです。御日拝をつとめ、今日只今天地と共に生まれたとの感動をいただく姿こそ、〝生き通しの道〟といえます。

 教祖神は、お日の出の太陽に大御神様の御姿を拝し、天地自然、一切萬物の親神様であることを確信されました。そして、そのご神徳、御光り、おはたらきの中で全てのいのちが育まれることを、そして「人とは『日止まる』の義なり。─『日と倶にある』の義なり」との御教語の通り、「人は、大御神様のご分心(わけみたま)をいただく神の子」という〝日の教え〟を、教祖神はご自身の体験からお説き明かし下さったのです。

 私たちの本来の心といえるご分心は〝生き通し〟です。下の句にあります「限りなき身と思う嬉しさ」という〝生き通し〟の喜びを、日々の御日拝において体感されていた教祖神に一歩でも近づくべく、またその教祖神にお会いするべく、「活かし合って取り次ごう! 日拝で始まる日々の祈り」(信心心得)をしっかりとつとめてまいりましょう。