ここも憂しまた行く先も憂かりけり
同じ月日に同じ身なれば
(伝御神詠)
教祖神ご在世当時、岡山の古京(現・岡山市中区古京町)に大店の炭屋がありましたが、その店の主人が旦那ぶって商売は店の者に任せっきりで、やがて経済的に困窮して借金だらけになりました。
主人は信用をなくしてしまい、その日暮らしとなり大阪への夜逃げを思い立ち、教祖神にご相談に伺いました。教祖神が「大阪へ行って、何をなさるのですか」と尋ねられると、主人は「店があのような状態ですから、いっそ住む所でも変わってみたらと思いまして…」と答えました。そこで、教祖神がその場で詠じられたのが、今月の御教えです。
教祖神は「今、あなたが行こうとする大阪も、ここ岡山と同じ月日が照らして下さっている。これまでと同じ心のあなたでは、全く何も変わりません。それよりも思い切って、たちまちの生活に必要な物だけを残して、それ以外は全部売ってしまい、それで得たお金で、あなた自身が炭を山に買い付けに行き、あなたが車をひいて売って歩きなさい」とご指導になりました。
主人はその仰せに従い家財一切を売り払い、それを元手に単身商売を始めました。すると、それまで手代や番頭がこっそりと売上金を懐に入れていたことに気付き、その分、炭の値段も安くできました。また何より、あの大旦那が車を引いて自ら商売を始めたと評判を呼び、注文も相次いで三年も経たぬうちにもともとの財産を築き直しました。なお、この御逸話は弘化元年(一八四四)頃のことと伝えられています。
この炭屋の主人のように、難問に思い悩み現実逃避してしまっては〝開運の道〟から外れてしまいます。教祖神の御教えの中には、徹底して現実を直視して逃げることなく立ち向かうことの大事があります。もちろん、目に見えないもののおはたらきを敬い感謝しなければなりませんが、今日只今の目の前の現実を有り難く受け止めることが大事なのです。何事もまず事実をしっかりと見据えて、そこに至るまでの経緯や原因を探ることで、本質的な因果関係が浮かび上がり、正しい将来像も見えてきます。「難有り有り難し」の御教えに象徴されるように、「一切神徳(全てがおかげ)」であると、現実を前向きに受け入れていくことが大切です。