大祓いのときよめる歌に
有るものは皆吹きはらえ大空の
なきこそおのがすみかなりけれ(御歌六三号)
「大祓いのときよめる歌に」とはしがきして、御歌六三号を詠じられていますが、「大祓い」とは神道の最も古い祭儀の一つで、古来毎年、六月と十二月の晦日(つごもり)に行われてきている祓いの神事です。本教においても、六月晦日(神道山 大教殿では六月の最終日曜日)には「水無月(六月)の祓い」ともいわれる大祓大祭が、そして十二月の大晦日には大祓い除夜祭が執り行われてきています。
その昔は、一年を二つに分けた考え方をしていて、大晦日が新年を迎えるための大切な日(年越し)であるのと同じように、六月の晦日も神々に一年の前半の無事を感謝し、この間に溜まった罪けがれを祓い清めて一年の後半を清々しく生きようと、夏越し(なごし)の日を大切にしていました。もともとは宮中祭祀で、親王以下在京の百官を朱雀門前の広場に集めて万人の罪けがれを祓った神事です。その際、中臣氏が奏上したのが大祓詞です。やがて、この神事は全国各神社で執行されるようになりました。
教祖神は「神道は祓いの一言に在り。祓いは神道の首教なり」(御教語)とご教示下さっていて、御自ら「お祓い修行」に徹し、〝心の祓い〟を何より大切につとめられました。〝天命直授〟により「神人不二」を体現し、「人は、天照大御神のご分心(わけみたま)をいただく神の子」であるとの確信から、殊に心の祓いをつとめる大事を高調されたのです。そして、祓いに祓い去った「なき(無)こそおのがすみか」と御教え下さっています。
また、教祖神は「いつも正月の気で居れ。常に春の様な心でくらせ」(御教語)ともお示しですが、「けがれは気枯れ」で「罪は積みつもるがゆえにつみ」なのです。ストレスを溜めることなく、陽気な心で生きることが真の祓いといえます。陽気とは「有り難き、面白き、嬉しき」の三喜(三気)の心といえますが、その心を培う上で心の祓いを積み重ねていかなければなりません。
ただし、毎日掃除をしていても否応無しに、塵やほこりは部屋の隅や手の届かない所に溜まってしまいます。家でも年二回は大掃除をするように、〝心の大掃除〟をするべく、信心心得に示された〝心なおしと常祓い〟をつとめてまいりましょう。