日々家内心得の事
一、無病の時家業おこたりの事
恐るべし 恐るべし(御七カ条第五条)
教祖神は、人それぞれの「家業(仕事)」はもとより、人としての役割は天照大御神から与えられたもの、いただいたものとお説き示して下さっています。三十カ条にも「天の御擬作を大切に勤めよ」とあります。
こうした考え方は、教祖神お一人のものではなく、日本人は古来、仕事を「天職」と捉えてきています。天職は天から命じられた仕事で、祝詞では「あめのみあてがい」と読みます。また、仕事とは「事に仕える」と読みますが、事とは天で、仕事を人の幸せにつながる聖なるもの尊いものと受け止めてきました。自分の仕事が人様の役に立っていると実感できることは幸せです。しかし今日、こういう考え方を持つ人は少なくなっていて、仕事はお金を得るためだけのものだという方が多いようです。家業にしても、一家の生計のための職業で、家代々の職業を守るべく継承する人はごくわずかです。
「教祖様の御逸話」(黒住教日新社刊)に「古松老婆へのお諭し」があります。この老婆は畳表を打って生計を助けていましたが、重労働のために疲れて捗りません。そこで、教祖神に老婆は「家業を怠らず励みたいと思いますが、肩凝りのために思うように働けません」と申し上げましたところ、教祖神は「あなたが仕事をするから疲れるのです」と。老婆は不思議に思い「私が仕事をしなければ生計が立ちません」と言うと、「何事も大御神様のおかげ無くして、一つの仕事もできません。自分が仕事をすると思えば迷い、気骨が折れるのです。一寸(約三センチ)織れるのも大御神様のおかげ。ああ有り難いと、また一寸織れたら有り難いと思うようにつとめたら、肩も凝らず気安く仕事ができます。天照大御神様のお力で働かしていただかねばならない」とお諭しになりました。老婆は、教祖神のご忠言の通りつとめますと、肩凝りも出ず心勇ましくなって、仕事の上だけでなく何事に対しても「有り難い! 有り難い!」と口癖になるうちに、仕事も次第に引き合うようになり、人からは「有り難ばあさん」と尊ばれ、壮健に長寿を全うしました。
心が大御神様またご一体の教祖神に向いていれば、形のおかげもついてきます。「『無病の時家業おこたりの事』ですから、仕事が忙しくてお参りができません」と言う人がいますが、心からお参りしたいと願うならば、「心は主人、形は家来」ですので、お参りする時間がいただけるように必ずなります。