「七カ条」は天の御教え(御教語)

 教祖神が、天照大御神とご一体になり、「神人不二」の妙理を証悟された「天命直授」(文化十一年〈一八一四〉十一月十一日〈旧暦〉冬至)の大感激大歓喜をもう一度味わいたいとつとめられた「千日の御参籠」(文政八年〈一八二五〉〜同十一年)中に尊い神宣(託宣)を得て、「御七カ条」が制定されました。

 御七カ条は、教祖神の御瀬踏に倣い御教えを実践する上で、一番の元になるものです。『黒住教教書』の巻頭に掲げられていて、「御訓誡」また「御神誡」七カ条ともいいます。明治の御代に発刊された『教書第一輯』の本の扉には「教祖訓誡七个條竝歌文集」と記されています。

 「何事にも七カ条の心を忘れるな」との御教語もありますが、教祖神の門弟(お道づれ)となってお道信仰をつとめる人は、まずもって御七カ条を日々拝誦して、その旨を守ろうとするように誓い実践し、〝反省の誠〟を捧げていくことがつとめです。

 先月号紹介の五カ条は、教祖神が生きながらの神となるべく努められたご自身の戒めですが、御七カ条は「天の御教え」であり、私たちお道づれへのお諭しです。教祖神は求めに応じて御七カ条を認め、お道づれに与えられました。そして、この御七カ条を守ろうと努力することが「人となるの道即ち神となるの道」を歩むことになるとご教示下さったのです。

 御七カ条と五カ条を比べてみますと、微細な表現の差はありますが、もともとの五カ条に「腹を立て物を苦にする事」(第二条)と「日々有り難き事を取り外す事」(第七条)を加えたものが御七カ条です。

 教祖神は、ご両親の相次ぐご昇天を悲しむあまり心を陰気に閉ざし痛めたことが元で労咳(肺結核)にかかり生死の関頭に立ったことを深く反省して、この二カ条を加えられたものと拝察します。門人へのお手紙にも「皆形は難有が形の持ち前なり。しかし、わが修行は、難を難と思わぬがわが修行なり。さすれば苦になることなし」(御文一四三号)とお示し下さっています。

 大御神様のご分心(わけみたま)をいただく神の子として、この人生をより良く生きていく日々の規範とし、一条一条を守ろうと努力と反省を積み重ねていくことが、お道信仰(修行)といえます。