何事もありがたいにて世にすめば
むこうものごとありがたいなり(御文一四三号)

 黒住教は、〝ありがとうなる〟生き方で、感激感動そして感謝の心を養う道といえます。その陽気な心が開運の基となります。

 ご幼少の頃より親孝行として知られていた教祖神は、文化九年(一八一二)、わずか一週間のうちにご両親を流行病(赤痢かチフスの類い)で失われました。その悲しみは筆舌に尽くせないほどに深く、心を陰気に閉ざした教祖神はそれが因で、当時〝不治の病〟と恐れられていた労咳(肺結核)にかかり生死の関頭に立たれました。そして文化十一年一月十九日、せめて今生の別れにとご家族の反対を押し切って御日拝をつとめられました。この折の様子が、『教祖宗忠神御小伝』(星島良平高弟著)に記されています。

 「吾元來父母の死を哀みて、心を傷め陰氣になりしより大病になりたれば、面白く樂く幡然て心を養い、心さえ陽氣になるならば病は自から愈べきはずなり。只一息する間にても心を養うが孝行なりと思いさだめたまい、見るにつけ聞につけ天恩の難有きことを思惟い、一向心を以て心を養い給いしより、日々にうす紙をへぐが如く快方に赴わせたまう」。

 教祖神の御心が陰から陽へと大転換したことによって、まさに九死に一生を得られたのです。なお、この時の御日拝を〝第一次の御日拝〟とかねてお称え申し上げてきています。

 ただ一息する間にても、見るにつけ聞くにつけ、天恩の有り難きことを思い、心をもって心を養われた教祖神の〝徹底感謝〟の御一念を常に心掛けることが、最も大切な心の修行といえます。いわば、〝感謝の誠〟を捧げることこそ、お互いの下腹に鎮まる天照大御神のご分心(わけみたま)を丸く大きく養い育てる道であり、やがては何事も有り難いという心持ちになり、「ありがとうなる」ことができるのです。

 教主様には先年、「『ありがとう』反対ことばは『あたりまえ』心なおしてありがとうなる」と詠じて、当たり前のことに感謝できる心、さらに〝一切神徳(全てがおかげであり有り難い)〟と受け止める大切をご教示下さっています。「ありがとうなる」を目指し心を養う修行をつとめ、共々におかげをいただいてまいりましょう。