○きもの(まる事の誠)を沢山、
御神前に御供えあれ。(御教語)

 先月号で学びました御文二一一号に、「丸事は○事なり。これすなわち天照大御神様の御心とご一体なり。これをいためるをけがれと申すなり。けがれは気枯れなり。それゆえ、腹を立て物を苦にするを、けがれの第一とするなり。」とあります。

 また御歌三七号は「わが国の信心のこころをよめる」とのはしがきが付けられた「有り難きまた面白き嬉しきとみきをそのうぞ誠なりけれ」です。「みき(三喜)の御歌」として知られるこの御神詠は、「誠とは何たるか」をお示し下さっています。

 教祖神ご在世のみぎり、某家で神事が今まさに始まろうとした時、そのお宅のご夫人が「御神前にお供えしている御神酒は、昨晩主人が飲み残した燗冷ましです。すぐに新しいお酒を買ってきますので、しばらくお待ち下さい」と、教祖神に申し出ました。すると、教祖神は「いやいや、おみきは私がおそなえしましょう」と言ってこの御歌を詠まれました。「有り難きまた面白き嬉しき」の三つの「き」を「おみき」にかけた上に、「そのう(そなえる)」を「供え」と「備え」にかけ、ユーモアいっぱいに御神前にお供えされたのです。そして、自らの心に備える“みき”の心こそが誠であり、「わが国の信心のこころ」だとご教示下さったのでした。

 教主様はこの御歌をいただく上で、「有り難いご神徳の中で面白く嬉しく生かされて生きるという意味合いから、『有り難き』の後の『また』という言葉には、まず感謝の念があって初めて本当の『面白き』すなわち興味関心を伴う感動の心と『嬉しき』という歓喜の心持ちが生まれてくるという深意も込められている」とお教え下さっています。

 本誌一月号の本欄で学びましたように、「誠は丸事」ですので、その「まること」、「みきの心」を御神前に少しでも多くお供えしてまいりたいものです。また、御神前にお供えするためには、わが身の内なる神(ご分心)に備えなければなりません。御文二一一号にあります通り、そのご分心を痛める最たることが「腹を立て物を苦にする事」です。陽気を枯らして陰気になることが「けがれの第一」ですので、そうならないように“感謝・感動・歓喜の心”を培ってまいりましょう。