ひと筆に示しまいらす親に孝
          たった一つでめでたくかしく(伝御神詠)

 教祖神は、数えて御歳13から33の20年間で、備前岡山藩(池田家)から17回も、〝孝行者〟として褒美(ほうび)をいただかれたと伝えられています。そして「中野の孝子」と称され、藩内でも評判になっていました。

 教祖神が20歳ばかりの頃に、「生きながらの神」になって、世の病み悩み苦しむ人を助けることが〝何よりの親孝行〟であると志を立てられました。爾来(じらい)、「心に悪いと思うことを決して身に行わない」と誓い、御自らの心を律する厳しい修行を重ねられましたが、こうしたことは皆、親孝行のためでした。

 ところが、文化9年(1812)教祖神33歳(数え)の秋、わずか一週間のうちにご両親が痢疾(りしつ、赤痢かチフスの類い)のために相次いでご昇天になりました。教祖神は、ご両親にお喜びいただきたい一心で厳しい修行を積まれていただけに、その絶望と悲嘆は言葉では言い尽くせぬほどであったものと拝察します。それがもととなり、教祖神は労咳(ろうがい、肺結核)にかかり生死の関頭に立ち、従容として死を待つに至られました。

 そして、お別れの思いで日拝された時、このわが姿をご両親がご覧になったらどう思われるかと思う中に大変な親不孝に気付いて、心を陰から陽に大転換(第一次御日拝)。その後、ひと息ひと息を有り難く感謝していただくうちに不治の病を克服、全快のおかげを受けられました(第二次御日拝)。さらに文化11年(1814)11月11日(旧暦)に神人一体の境地に立たれる「天命直授(てんめいじきじゅ)」の宗教的神秘体験を得て、いわば〝生き神様〟となられたのです。

 親孝行とは、「親への恩返し」といえます。自分を生み育てて下さった両親に素直に感謝し恩返しすることが、他人に対する思いやりの心を養うことにつながり、天照大御神のご分心(みわけみたま)をいただく神の子としてふさわしい人生を送ることになります。大御神様のご神徳の中で〝生かされて生きている〟お互いです。「親孝行」や「恩返し」をとかく忘れがちな現代だからこそ、今月の御(み)教えを心掛けてまいりたいと思います。