天照らす神に任せば世渡りの
          船は心のままに行くなり(伝御神詠)

 宗忠神が上道新田(現岡山市中区沖元)の沖田神社にお説教にお出掛けのため、旭川下流の二日市の渡し場で渡し船に乗られた時のことです。皮肉屋っぽい船頭が、「黒住の先生ですな…。先生は、いつも任せよ、何事も天に任せよ、自然に任せよ、と仰(おっ)しゃるそうですが、本当に何事も任せてよいのですか…?」と尋ねたので、宗忠神は「よろしいとも」と笑顔でお答えになりました。

 船頭は「ああ、そうですか」と一言捨て台詞(せりふ)に言い放つと、力を込めてグッと船を一棹(ひとさお)突き出すや、そのまま棹を引き上げてゴロリと横たわってしまいました。

 舵取りを失った船は、急な流れに乗って川下に流され始めました。随行の蜂谷俊造氏は元来短気な性分でしたから、船頭の無礼な態度に怒り心頭に発していましたが、宗忠神から目線で制せられていたので黙っていました。

 船は、海(児島湾)に流れ出てしまいそうな勢いでした。蜂谷氏が、「これではならぬ」と思って宗忠神をご覧になると、相変わらずのニコニコ顔で何も言わぬがよいというお顔つきです。…で、仕方なく我慢する。

 大勢の方が待っておられるご布教先への道中ですから、蜂谷氏は気が気ではありません。堪(こら)えきれず、船頭を怒鳴りつけるつもりで、それでも宗忠神の方を一瞥(いちべつ)すると、やはり笑顔で何も言うなです。船頭は、ふてぶてしく横たわっています。真に落ち着き切っておられる宗忠神と、意地悪く落ち着いた素振りの船頭と、ひとり気を揉(も)んでイライラしている蜂谷氏の三者三様の時間が流れました。

 かれこれする内に、船はだんだん斜めに下って、やがて向こう岸に流れ着きました。なんと、そこから東に直進するとすぐに沖田神社という、最寄りの場所でした。

 「これは一番よい所に着きました。船頭さん、ご苦労でした」と、身軽に陸(おか)に上がられた宗忠神、そして蜂谷氏でした。驚き、慌てたのは船頭で、「まさか、こんな所まで来てしまうとは…」と後悔するものの後の祭りで、そこから急な流れを逆走して懸命に棹をさして、普段の仕事場に戻るのに大変苦労をしたということでした。

 本来為(な)すべきことを行わずに捨て任せにした船頭と、舵取りは船頭に任すしかない船上の客として真に丸任せなさった宗忠神と、心を痛め続けた蜂谷氏…。すっかり反省した船頭は、大いに恥じ入り反省して、後に信仰手厚いお道づれになったということでした。