有り難さ積もり積もりし老いの身を
          年寄れりとぞかこつ哀れさ(道歌)

 古松の婆さんといえば、宗忠神ご在世当時、知らない人はいないほど信仰熱心なお道づれでした。長年、畳表(たたみおもて)を織って生計を助けていましたが、年を重ねるごとに仕事が捗(はかど)らなくなっていました。

 ある時、宗忠神の御祈念を願い出た際に、「家業を怠らず励みたいのですが、年のせいか思うように働けません。どうか、肩が凝らぬようにお願いします」と申し上げると、「それは、お前の力で仕事をするから疲れが出るので、お前の力でせぬように…」とのお答えでした。

 不思議に思って、「しかし、私が仕事をしないことには生活に差し支えます」と申し上げると、
「いや、そうではない。何事も天照大御神様のご神徳のおかげなくして仕事はできないのです。自分が仕事をすると思えば迷い、自分の力でしようとやきもきするから気骨が折れる。ちょっと畳表が織れるのも大御神様のおかげ『あぁ有り難い』と思い、またちょっと織れたら『有り難い』と思って仕事をすると、肩も凝らず、気安く仕事もできる。すべて大御神様のお力で働かせていただかねばならん…」とお諭しをいただきました。それ以降、ただ「有り難い、有り難い」と思いながら働いたところ、疲れも出ず、心もいきいきと勇ましくなり、仕事も引き合うようになり、人々から「ありがた婆さん」と呼ばれるようになって、壮健に長寿を全うしたとのことでした。

 同様に信仰手厚い老婦人でしたが、物怖(ものお)じしない率直な性分と陽気な人柄で親しまれた秦(はた)のおふくろへの、宗忠神の大らかで微笑(ほほえ)ましいお導きが伝えられています。

 感動と感謝の心を説かれた「活物(いきもの)を捉(つかま)えよ」の御(み)教えを聞いて、「生きもの生きものと言って、ねずみ一匹出ては来ぬ…」と、思わず噴き出すようなことを平気で口にする秦のおふくろが、ある時「先生は、いつも嬉(うれ)しそうにニコニコ笑っておられますが、一体何がそんなに嬉しいんですか?」と訊(たず)ねると、「私もそんなに毎日嬉しいことばかりではないが、ただニコニコしているのです。それはちょうどあなた方が、これというほどのこともないのに、ただブツブツと文句を言っておるのと同じようなものでしょう…」と仰(おっ)しゃったとのことでした。

 常に丸く大きく温かく柔らかく、心に年を寄せない陽気な心の大切をさらりとご指導下さった宗忠神でした。