有り難い有り難いとて朝夕に
心生かせば身は生きるなり(加古原淡路大人詠)
高禄の備前岡山藩士の某氏がハンセン病(らい病)に罹(かか)り、悩み苦しんだ末に宗忠神に救いを求めました。
御祈念の後、宗忠神は次のように仰(おっ)しゃいました。
「ご心配はありません。必ずよくなります。しかし、この道では何より『有り難い』という心が肝要です。とにかく、一日に百回ずつ『有り難い』と、熱心に唱えてごらんなさい」
その人は、「それは容易なこと」と思って、さっそく7日間実行しましたが何の効果もありませんでした。
そこで次のお参りの時に、そのことを申し上げると、
「では、日に千回ずつ…」との仰せです。
今度は少し大変でしたが、千回ずつ7日間つとめました。しかし、病状の変化は全くありません。
また、そのことを申しますと、「どうか、日々一万回ずつ唱えなさい!きっとおかげが顕(あらわ)れます」のお言葉。
真面目な性分と、「どうしてもおかげをいただきたい…」の一念から、教え通り一万回ずつ毎日唱え続けたところ、ちょうど7日目に、にわかに熱が出て激しく吐血し、弱り切って倒れたまま眠ってしまいました。久しぶりに何もかも忘れて熟睡したので、目が覚めると実に気分がよく、不思議に顔や手足のむくれや腐色がとれてしまって、ついに病を克服したのでした。
一方、ある人が「恐れ入ったことですが、平素心から有り難いという気が起きません。どうすれば『ねてもさめても有り難き』という心境に至れるでしょうか」とお尋ねすると、宗忠神は笑顔で優しくお諭しになりました。「それでは、こうしてごらんなさい。たとえ真似(まね)でも、口先でもよいから、まず朝目がさめたら第一に『有り難い』とお礼を申し上げ、それから顔を洗うとまたそこで『有り難い』と言い、次に朝日に向かって『有り難い』と礼拝し、そして仕事についたら手足が自由に動くことを『有り難い』と思い、見るもの聞くもの何につけても『有り難い、有り難い』と言ってゆけば、自然と心が有り難くなってくるもの…」。そのお言葉を聞いて「有り難うございます」とお礼の言葉を思わず発した途端、「そこじゃ、その有り難いと口をついて出たところに、誠の有り難さが顕れるのですぞ」と間髪を入れず御(み)教え下さった宗忠神でした。