姿こそみなそれぞれにかわれども
心のもとは一つなるらん(御歌一六六号)
ある日のお説教で宗忠神がお話しになった、とある人形屋の店先での出来事です。
小僧さんがはたきをかけて雛壇の掃除をしている時に、誤って人形をひっくり返してしまいました。小僧さんは慌てて人形を雛壇に戻したのですが、従者が上の方、お内裏(だいり)様とお雛様が下の方と、ごちゃまぜの状態になってしまいました。それを見つけた主人が叱りつけているところへ、ちょうど入ってきた客が静かに語り掛けました。
「いやいやご主人、これはこれで良いのかもしれませんよ。やがてこういう時代が来るに違いありませんし、そうならねばならないと思います…」
身分制度の厳しい江戸時代に、「人は皆、天照大御神の分心(わけみたま)をいただく神の子」との人間観を説かれた宗忠神が、人形屋での出来事としてご教示下さった尊い神話と学ばせていただくことです。
また、門人の今田恵三治氏が晩年話しておられたのが、「御会日(ごかいじつ)の模様とお道づれの親睦」です。
「二七(にしち)の御会日には、たいてい欠かさず参拝しました。玄関には刀掛けがあり、大切な刀が沢山掛かっているのは実に凜々(りり)しいものでした。私らは笠をその側(そば)に脱ぎ置いて中に入ると大勢のお参りで、お歴々の侍(さむらい)方もおられました。しかし、お侍だから上席とか百姓だから下座とかの区別はなく、誰でも早くお参りした者が上座に詰めますから、日頃は土下座せねばならぬようなお偉い方々が後ろで、女子供が前に居るといった様子でした。
有り難いお説教が終わると、順々に直禁厭(じきまじない)を受けて、その後、お夜食を頂戴して解散になりました。お道づれの方々は皆ご親切で、病人などは特に大事にされました。ある時の帰り道、前方に数人のお侍が帰っておられました。私は後ろを歩いていましたが、丁寧に話をして下さり、『どこまでお帰りか』と尋ねられ、『邑久(おく)の下山田でございます』と答えますと、『それは遠方じゃ、かまわず先に帰られよ』と、ご一同、道を譲って下さいました。『ああ、お道ならばこそ…』と有り難く思った次第です」
“平等”という言葉が一般的になる遙(はる)か以前の、“神格尊重”の行き届いたお道ならではの世界でした。