有る物はあるにまかせて無き物を
         養う人ぞありがたきかな(御文八八号)

 教祖宗忠神が、門人一森彦六郎氏宛てのご書簡「御文七四号」にて教え示された「伊東佐兵衛氏の霊験」を、「黒住教教書現代語訳」(山田敏雄監訳 日新社発行)を通して学ばせていただきましょう。

 「一、近頃いろいろ奇妙なこと(奇蹟)がございます中に、伊東佐兵衛殿(岡山藩士)がこの5月頃まことに大病で、その元は26年以前からのりゅういん(溜飲。飲食物が胃の中にとどこおって、すっぱい液が出てくる症状)で、毎年いろいろといたしましたところ、この4、5月頃にはますます難しくなられ、治療もいたし方がなく、食べ物も一向に(のどを)通らず、まことに必死(生きる見込みのないこと)となり、自分でも(死を)覚悟いたされましたところへ、重ね重ねの頼みがありましたので行き、いろいろと申しているうちに、食べ物も薬も(のどを)通らないようになって、ご覚悟はごもっともです。しかし、この道は、形(体)を病に任せ、心は天照大御神とご一体と申す心におなりになり、今から心だけはさっぱりとご平癒なさいませ。そうしますと形(体)も直ぐにお治りなさるであろう、と申しましたところ、不思議なものです。26年の病気がそのまま平癒いたされ、20日ぶりには出勤いたされ、土用中(立秋前の18日間)も日勤(毎日出勤すること)いたされ、まことに思えば夢のようでございます。その外いろいろな御事がつぎつぎございますけれども、とてもくわしくはお目にかかってでなければ(お話し)できませんので、まずは右(伊東氏)ほどに衰えなさいましてもこのようでありますから、万事(天照大御神様と)ご一体と(心を)お定めなさるとまことに大丈夫でございます。」

 同じく一森氏宛ての御文の中で詠まれた「形有るものはあるがままに任せて、姿・形無き天照大御神とご一体のご分心(心の神)を養う人こそまことに有り難い人」との今月の御教えが、正に尊き霊験として顕現した有り難い(有ること難い)実例を学ばせていただきました。