天照らす神の鏡にうつします
         誠の魂のみやしろぞこれ(三代宗篤様詠)

平成27年9月号掲載

 今月も、三代様(第三世黒住宗篤様)がお詠み下さった御歌を学ばせていただきます。

 いよいよ“祭り年”を締め括る「大元・宗忠神社ご鎮座百三十年記念祝祭」が、来月10日(土)、11日(日)、12日(祝・月)に斎行されます。

 今月の御教えとしていただいた御歌を三代様が詠まれたのは、明治16年(1883)4月14日から数日間にわたって盛大に執り行われた上棟式および祝祭行事に際してのことでした。

 未だかつてない大盛況を報じた当時の教団機関紙「不二新聞」は、「岡山京橋の下には、因幡伯耆の教徒(お道づれ)が高瀬舟にて降り、河原に上陸する有様は恰も、くもを散らすが如し。かく参拝人の数多なる故、臨時旅籠屋を営みしもの230軒もあるやに聞く…」と記しています。

 喜びにわき返った上棟式で、吉備楽が初めて本教祭典楽として制定され、小野元範初代楽長(現楽長の祖父)のもとに演奏されました。

 この上棟式後、細部の工事に2カ年を要し、今から130年前の明治18年(1885)4月18日、いよいよ宗忠神社は竣工落成の時を迎えました。明治11年(1878)の神社建立の儀が決定されてより前後8年間、三代様が心血を注がれ、30名の新築係員を中心とした先輩諸氏の寝食を忘れての献身と、36300余名ものお道づれの“祈りと奉仕の誠”の結晶たる大元・宗忠神社は、地方では類稀な木の香も芳しい荘厳美麗な御社殿として完成したのです。

 明治期の先輩方のすごさを実感させていただくのが、翌明治19年(1886)3月25日の教祖大祭の佳日に、教祖神が奉職されていた今村宮(岡山藩の守護神社)への御神幸が欽行されていることです。宗忠神社創建工事とほぼ同時進行で、今も大切に使わせていただいている御神幸の絢爛華麗な御道具の全てが設えられていたことを思うと、ただただ驚き感動するばかりです。三代様が「誠の魂」と詠まれた先輩諸氏の“信仰力”に感謝して、記念祝祭に報恩の参拝をいたしましょう。