火の中を分けても道は聞くべきに
         雨風雪は物の数かは(鉛谷たけ刀自詠)

平成27年6月号掲載

 今月の御教えを詠まれた鉛谷たけ刀自(女性の尊称)は、黒住教堺中教会所(大阪府堺市)の基盤を築いた、江戸末期から明治前期の黒門(黒住教門人)を代表する女傑のお一人です。

 赤木忠春高弟や森金為蔵高弟といった教祖宗忠神直門の先生方から正に直々のご指導を受けた刀自は、自らが御教えを説いて祈って人を導くこともさることながら、病み悩み苦しむ人を諸先生のもとに道案内する偉大な“繋(つな)ぎ役”でした。

 今月の御教えは、道(教祖宗忠神の御教え)を信じ切った刀自の揺るぎない信仰心が、烈々たる気迫とともに詠まれた道歌です。「この道との御縁を結びさえすれば、必ずおかげをいただける!」との絶対確信の道ごころで、救いを求める人々を宗忠神のもとに誘い導かれた刀自の姿こそ、立教三世紀を迎えた現在の黒住教信仰者(お道づれ)が見習わせていただくべき鑑(かがみ)です。

 「教祖様の御逸話」(日新社発行)を拝読すると、おかげを受けた人と教祖宗忠神とを結び付けた“繋(つな)ぎ役”の存在がいかに重要であるかを学ぶことができます。

 先述の赤木高弟と宗忠神とを結び付けたのは、高弟の叔父であった西村斉助氏でした。八年間の盲目に苦しむ甥を半ば強引に宗忠神のもとに連れて行ったのは、身内なればこその行動でしたが、西村氏なかりせば、本教の大功労者である赤木高弟の存在はありませんでした。

 “繋(つな)ぎ役”の多くは、「黒住の大先生を訪ねてごらんなさい。必ずおかげをいただけるから…」と声を掛けて、御会日や御講席といった御講釈(説教)が聞ける場に誘って下さった名もなき人々で、先述の森金高弟のように「自分に断りもなく集会を開きおって、けしからん!」と講席に自ら乗り込んで行って、宗忠神の春風駘蕩たる御姿と御講釈に毒気を抜かれて、その場で弟子入りを申し出たような方は稀でした。

 教祖宗忠神の尊き御徳を周囲の方に伝えずにはいられないような、すべてのお道づれが“繋(つな)ぎ役”であっていただける3世紀の黒住教でありたいものです。