宗忠の神の教えは皆人の
神となるべき道にぞありける(吉成敬明大人詠)
平成27年5月号掲載
今月の御教えを詠まれた吉成敬明先生は、黒住教徳島教会所(徳島市)の創立者で初代所長、そして明治13年(1880)の宗忠神社新築係員30人の内の一人という、明治期の本教教師を代表する大先達です。
先々月、そして先月と「宗忠の神の教え」の一節が詠み込まれた道歌を学んでいますが、「皆人の神となるべき道」という定義付けは、教祖宗忠神が示された「この道は、人となるの道すなわち神となるの道」との御教えに基づいています。
本年1月11日、立教三世紀の初頭に発布された新たな「ご告諭」の中で、教主様は「『人となるの道』が真っ直ぐに伸びるところに『神となるの道』、すなわち『生き通し』の、死を超えた道が開けてまいります」と明言して、以下の言葉で新たな「ご告諭」を締めくくられました。
ここにお道づれの皆様に、お心に刻んでいただきたいところを改めて申し上げます。
黒住教は「人となるの道すなわち神となるの道」です。
「人となるの道」は、人様に喜んでもらうところにあり、「人は人に尽くして人となる」のです。そして「人間にとって自分自身をつくり上げるほど大きな仕事はない」のです。
立教三世紀に歩を進めるお互い、ますます教祖神の御心を心とする教団、お道づれであるべくつとめてまいりましょう。
黒住教新世紀幕開けの今年は、大元・宗忠神社ご鎮座百三十年の年です。かつて宗忠神社新築係員のお一人であった吉成先生が詠み示された「神となるべき道」は、「自分自身をつくり上げる」という大きな仕事の先にあると心得て、新たな時代を真摯につとめてまいることをお誓い申し上げるものです。