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天つちの誠の中にすむ人は 有無(うむ)も生死(しょうじ)も何かいとわん(御歌25号)
 天照らす神の宮居(みやい)に住む人は かぎり知られぬ命(いのち)なるらん(御歌12号)

平成21年5月号掲載

 「離我任天」そして「養無」という最も難しい御教えをいただいてきた締めくくりとして、教祖様の御文を拝読して下さい。無にして有であるいのち(命)が永遠の霊性(いきもの)であること、すなわち「生き通し」の御教えを深く学ばせていただきましょう。

 「いっさい有るものは無きものなり。まことに貴賤(きせん)のへだてなく、これをはなるれば、生もなく、死もなく、尊(そん)も賤(せん)もなし。その所明かり入り候(そうら)えば、天地皆わがものと相成り申すべく候(そうろう)」(御文48号)

 「毎度申し上げ候通り、まことに道は生き通しにて、みな心から生きさえつかまつり候えば、限りはござなく候。しかし、そこを教え候えども、よう生きぬ人は、親子兄弟なりとも、いたし方ござなく候。願わくは、生き通しのところをお勤め下させらるべく候。いよいよもって日の神ご一体に相違ござなく候まま
 限りなき天照る神とわが心
  へだてなければ生き通しなり
ただ、心陽気に相成り、邪陰を離れ、長寿をお保ち下させらるべく候」(御文243号)

 「生き通しは、いよいよ心ばかりいきものと申すの疑いまことに離れみれば、かの天照大御神ばかりに相成り。ただ豪髪(ごうはつ)(わずか)も、生きたいと申すことを離れ、望みをはなれ、疑いを離れみれば、道は天の道なり。わが説く道にあらず。天の道なら、天に任せみれば、すぐに我なし。我なければ天の心ばかりなり。その天の心がわが道なり。その道がいきものなり。このいきものみな無り。その無こそ一大事なり。仏(ぶつ)にも、本来無一物(ほんらいむいちぶつ)といえり。我まるでなくなれば、天地のむすびし心のいきもの、はじめて目ざめ、夢のさむるごとくなり」(御文144号)