みな人のあしきはおのが姿なり
        よくかえりみよ清き心を
                 \はすなわち月日なり(御歌152号)

平成24年12月号掲載

 黒住教第五代黒住宗和教主様が染筆された教祖宗忠神の「御訓誡七カ条」の中に、第四条の「人の悪を見て己れに悪心をます事 恐るべし恐るべし」を「人のあくを見て…」と書かれたものが幾つかあります。すべてを同じように認(したた)めている訳ではないのですが、押印までされている清書なので書き損じではなさそうです。あまり“深読み”すべきではありませんが、「人は天照大御神の分心(わけみたま:神の心)をいただく神の子」という教祖様の御教えに基づいて、「本来“悪”なるものはない」という点を五代様が高調されたのではないかと、平仮名で表記された「あく」を注視するたびに思います。そして、「あく」は「アク・芥(あくた)(ゴミやチリやホコリ)」ではないかと気付かされます。
 「罪は積みつもる」、「けがれは気枯れにて、大陽(だいよう)の気を枯らすなり」と教祖様は御教え下さっていますが、清浄なるが故に汚れやすく傷つきやすいのが人の心で、なればこそ、常に祓い清めていきいきとした健康状態を維持するように心掛けなければなりません。心も身(身体)も、元気が本来の姿なのです。

 今月の御教えも、そして「御訓誡七カ条」の第四条も、教祖様がお戒め下さったのは“対人関係による自らの不健康化”です。まるで風邪がうつるように、人の「あく」も伝染・蔓延しやすく、病気にならないように常に強く鍛えておかなければいけません。たとえ人の悪しきことが気になっても、それをはねのける清く明るく逞(たくま)しい精神が大切です。元々の「日月」の姿に照らし合わせて省みて、普段からの心身の健康管理につとめたいものです。

姿をば塵(ちり)芥にてうずむとも心はもとの君と遊ばん    (御歌117号)
わがこころ磨くこころの有る人は悪事さいなんはらいのぞけん  (御文249号)