生き死にも富も貧苦も何もかも
       心一つの用いようなり(御文92号)

平成24年1月号掲載

 今月の御教えは、ややもすると「現状の受け入れ方」、すなわち「ものは考え様」が示されただけの御歌のように思われがちですが、果たしてどうでしょうか…?

 教祖宗忠様の御教えは、明治の時代から「心の養い方」という意味で「養心法」と称(たた)えられるとともに、「心の用い方」という意味から「用心法」とも称されてきました。また、「この道は心直しの道なり」との御言葉も、本教の特質を端的に示す表現として重んじられてきました。一方で、「開運の宗教」として広く知られ、立教以来数多くの人々が尊い“おかげ”をいただいて、幸せな人生を授かってきたのが黒住教です。
 今まで何度も学んできたことですが、今月の御教えをいただく際も、「人は天照大御神のご分心をいただく神の子」という教祖様のお悟りの神髄に基づいて深く味わうことが大切です。教祖様が「心」について事あるごとに教え諭されたのは、「心」こそ、万物の親神たる天照大御神の御分霊(わけみたま)である「ご分心」のご座所に他(ほか)ならないという揺るぎない確信からでした。“おかげ”の受け皿である「心」を、「ご分心」という“神の心”と一体化させる道として、「心の養い方、用い方、直し方」を繰り返して説かれたのです。
 一般的に「プラス思考」として知られる考え方から、「『独善性(独りよがり)』を取り除いて、『おかげさま』をしっかり加えた思考形態」と言えるかもしれませんが、「謙虚さと感謝、そして感激性を伴った前向きな楽天主義」が、「ご分心」という“お日様”を心にいただく、人( 日止(ひと)・日倶(ひととも))の本来の生き方です。心次第で、事態は好転し、より良い結果がもたらされると信じることができた時、今月の御教えは、まことに僭越(せんえつ)ながら、
「何もかも心一つの用いよう生死も貧富も勝手次第に」と学ばせていただくべき御神詠なのです。

「楽しむもまた苦しむも心から
     かってしだいの浮き世なるらん」(御歌120号)