姿なき心一つを養うは
かしこき人の修行なるらん(御文149号)
平成23年10月号掲載
今年から本誌の表紙に紹介されている教祖宗忠様の御神詠(伝御神詠を含む)を月毎(ごと)にいただきながら、本教の御教えを体系的に学んできました。
まずは、太陽、とりわけ昇る朝日に顕(あらわ)れる天照大御神が森羅万象すべての大元で、その「ご神徳(日の御徳(みとく))」は天地に満ち渡り、あらゆる生命(いのち)を生かし育む、限りない恵みであること。そしてそれは、現代社会に生きる私たちが、心豊かに賢く生きるために必要な基本的な心得であること。次に、私たち人は、心の奥深くに“お日さま”をいただく尊い神の子で、“わが心の神”である「ご分心」を確信し、感謝と感動の“みきの心”で「誠」を尽くすことが、黒住教信仰の最重要事項であること。さらに、日本人が古来大切にしてきた「誠」の本体は「天照大御神の御心」で、天地自然の調和と循環を表す「まること」の核心(もとの心)を共に祈ることによって、「おかげ(日の御蔭(みかげ))」は誰もが必ずいただけること。
このように、教祖様が説き明かされた「誠の教え」の大筋を理解すると、「ご分心」のご座所であり「おかげの受け皿」である「姿なき(わが)心一つ」を、本来の“お日さま”と一つになるように養うことこそが、「心直しの道」・「養心法」と称(たた)えられてきた本教の修行であると深く実感できます。
ここのところを、教祖様は「無きところを養う」と仰せになりました。今月の御教えが詠み込まれた「御文149号」をじっくり学ばせていただきましょう。
「道は、かねがね申し上げ候(そうろう)通り、ただ一つにきわまり候あいだ、少しも少しもむずかしきことはござなく候。元なきところよりいでたる身なれば、心の元は皆なき所より参り候まま、常々その無きところを養うこそ、天照大御神の御み玉を養うところなり。このところ勤まり候えば死するものなし。この養うところよりほかに一大事はなし。幾重も幾重も大事にいたしたきは、姿なき心なり。(中略)常々このところをよくご修行なさるべく候」