真心を常に守りて朝夕に 天照る神のみそば離れな(伝御神詠)

平成22年2月号掲載

 本稿で「二度焼け」について学んだ際の御教えとしていただいた「火事がいてそのまた上に胸を焼き心の火事ぞ丸焼けになる」、「損をしてそのまた上に気を痛め命の損ぞまる損という」という二首の道歌を詠(よ)んだ教祖様直門の松岡清見師は、元は教祖様と同僚の神職で当時湯浅薩摩(さつま)と名乗っておられました。

 その頃のこと、神社関係の会合でたまたま教祖様と同宿した湯浅氏が、隣同士で枕を並べて横になったまま「貴殿が奉職なさっている今村宮の御斎神は…?」と世間話をする中で教祖様に尋ねたことがありました。それまで受け答えのあった教祖様から何の返答もないので再度尋ねると、教祖様は、やおら起き上がって袴(はかま)を着けて身を正して「私の奉仕しております今村宮の御斎神は、天照皇太神宮、八幡大神宮、春日大明神の三社宮でございます」と、まことに恭しくお答えになったのでした。湯浅氏が、後に教祖様を師と仰ぐことになる切っ掛けになった御逸話(ごいつわ)です。
 この御逸話は、「神仕えする者が常に心しておくべき手本」として、今日(こんにち)の神職養成の研修会などでもたびたび紹介されているようです。教祖様を師と仰ぐ私たち黒住教の道づれこそ、肝に銘じて学びつとめなければならない御教えではないでしょうか。

 現に教祖様は、「掛巻(かけまく)も綾(あや)に畏(かしこ)し。天照大御神の大御名は、容易(たやす)く申し上ぐべきにあらず。軽々しく唱え奉(まつ)るべきにあらず」とも厳しく仰(おっ)しゃっています。教祖様からお叱(しか)りを受けることのないように、天照大御神様、そしてご一体の教祖宗忠の神様への畏敬(いけい)の念を常に忘れることなく、厳粛な思いで“祈りの誠”に徹する信仰者であらねばと、心新たにさせていただくものです。