天照らす神諸共に乗る船の まともの方へ廻れ神風(本多応之助大人詠)
平成20年12月号掲載 しばらくの間「御教えをいただく」では、「五つの誠」の分類から離れて“「あたりまえ」の「ありがたさ」”を学んできました。黒住教信仰の長いお道づれの皆様には、新鮮というよりも怪訝(けげん)にさえ感じられる解説もあったかもしれませんが、若い世代、とりわけ“個化”の進むこの時代に生きる人々を対象に、あえて御教えを現代的に解釈させていただきました。
一連の“シリーズ”の締めくくりとして、今月の御教えから“まとも”という一語を学んでいただきたいと思います。
この言葉、もともと“真艫(まとも)”で「船尾を意味する艫に真正面、すなわち“真後ろ”」という意味でした。艫綱の艫、反対語は舳先(へさき)の舳で、現在は“正面”とか“真面”とも書かれ、“真後ろ”どころか“真正面”をも意味する“まとも”は、なぜ真反対の意味でも使われるのか?それは、「“真艫”な風、すなわち“順風(追い風)”を受けて船が進む方向が“正面”」だからです。正しい方向に進むと、当然“正面”から風が当たります。「風を“まとも”に受ける」というと、場面によって両方の解釈が成り立ちますが、「“まとも”な風」と聞いて誰(だれ)も“逆風”だとは思いません。今月の御教えに詠(よ)まれた「まともの方」が、元来の意味で用いられていることは明らかです。
天照大御神様、ご一体の教祖宗忠の神様は、常に私たちをより良き方に生かそう育(はぐく)もうと親心でお導き下さっています。この「神風」を“まとも”に受けて、順風満帆の人生を歩ませていただくための心の舵(かじ)取りが大切です。日常見落としがちな小さな“気づき”から「おかげさま」という感謝の種を見つけて、誠実に前向きに生きることが“追い風”を受けるための秘訣(ひけつ)だということを、“「あたりまえ」の「ありがたさ」”から学んでいただきたいと思います。