心をもって心を養う
 ─AI時代の「知・情・意」のアップデート
教主 黒住宗道

 生成AI(人工知能)が現代人の日常生活にとって必需品になりつつある時代です。「自分は、デジタルとかITのことはさっぱり分からないから…」と目を背けても、今や私たちの生活環境そのものがデジタル技術によって構築され、その多くの機能がAIなしでは立ち行かないのが現実です。「世界中でデジタル化された全てのデータ(情報・記録)が必要に応じて瞬時に解析され、一切失われることなく新たなデータとして蓄積・分析され、学習を繰り返して、常にアップデート(更新・強化)された最新データとして活用され続ける…」という時代を、「夢のよう…」と思う人もいれば「恐ろしい…」と感じる人もいるでしょうが、人類が追求してきた科学技術の進化・発展による成果(結果)であることは言を俟ちません。要は、この現実といかに向き合うかが何よりも大切なことだと思います。

 例えば、「早く」そして「楽に」物事が取り進められることは好ましいことですが、「それが真に正しい情報に基づいていることなのか、また所有権や著作権やプライバシーなどの基本的人権が守られている情報なのか」という、常識ある人なら誰もが当たり前だと思うことが、どうやらAIにとっては最優先事項ではないようです。そうした部分も日進月歩で改善されつつあるとは申せ、世界中のあらゆる情報、すなわち正しい情報も誤った情報も、操作・創作された情報も、倫理道徳・人道・人権的に発信されるべきではない情報も、何もかもが分析・解析のためのデータ(素材)として扱われている現状では、「修正・改善され続けることが肝心なのであって、現時点で間違いがあるのは当然…」と言わんばかりの、明らかな誤情報をまるで本当のことのように教えるAIとの付き合い方は、大いに心する・・・必要があります。

 今、「意識する」とか「注意する」とか「配慮する」という意味で、敢えて「心する」と表現しましたが、相手が「人工知能」なので、「知・情・意」という観点から「心する」ことが大切ではないかと思い、AI(ChatGPT)に「知情意について百字で説明してください」と尋ねたところ、約二秒で以下の答えを得ました。
「『知情意』とは、人間の心の働きを三つに分けた考え方です。『知』は知識や理解、考える力を指し、『情』は感情や心の動き、『意』は意志や行動しようとする力を指します。人は知るだけでなく、感じ、決めて行動することで成長していくと考えられます」

 このようなことで感心してはいけませんが、相変わらず優等生の無難で見事な回答です。

 まず、「知識や理解、考える力」とAIが説明した「知」ですが、正誤混在とは申せ、あらゆる情報を蓄え、決して忘却することなく、自ら学習して、たちどころに分析するのですから、既に個人では到底太刀打ちできない能力であり、昨今では人類全体のレベルを超すという「シンギュラリティ(技術的特異点)」が近いと言われています。殊「知」に関しては、AIと対抗するのではなく、AIを活かして用いるために、常に情報(知識)の正誤を確認する作業を怠らず、できるだけ広く深く理解し、しっかり考えることを自らに課して、決してAIが示す情報を鵜吞みにしないことが大切です。その上で、古来、先人たちが「叡智」とか「智恵・智慧」と重んじてきた、世の中の道理を知る「智」を体得するべく心掛けたいものだと思います。

 次に、AIが「感情や心の動き」と説明した「情」ですが、「『私には感情はありません』と言い切るAIが提供するインフォメーションを、果たして『情報(情に報いる)』と呼べるのか…」と、この言葉に接するたびに考えさせられます。理論や理念や理屈、そして知識や知能が優先される社会ですが、「喜怒哀楽」に象徴される「情」が「不要なもの…」とは誰も考えません。喜びすぎて足元をすくわれたり、怒りが調和を乱したり、避けられない悲哀に苦しんだり、楽をしているうちに運に見放されたり…、「情」には理屈に合わないことが伴いますが、全てひっくるめて「生きている証」です。「感情は理性でコントロールすべき」と考えますと「情」よりも「知」の方が上位に位置するように思えますが、本当は「情」を自ら深化・涵養することが重要です。喜びは素直に感謝して、腹が立ったら少し堪えて、それでも鎮まらない怒りは事態改善のためのエネルギーに転換して、悲哀は辛いですが経験値にして、楽は朗らかに楽しむゆとりにして…等々、言葉にすると薄っぺらになりますが、「情」こそが「人の人たる所以」です。教祖宗忠神は「歓喜、感動、感謝」を「いきもの(活物)」という一言で示して「活きものを捉まえよ」と御教え下さいました。とかく「知」が優先されがちな時代なればこそ、「情緒・情愛」の「情」を大切に養わなければならないと思います。そこのところを、世の宗教は「愛」や「慈悲」や「誠」を通して説いているのではないでしょうか…?

 最後に、AIが「意志や行動しようとする力」と説明した「意」ですが、いささか捉えどころがなく言葉で説明しにくいものの、「意志・意思・意見・意欲」等の「意」が不必要であるはずはありません。そこで、人間として失ってはならないはずの「意」を、先の「情」とともにAIがどのように説明するかを再び問い掛けた回答を紹介します。
「私(AIのこと)は感情や意志を持っていません。『うれしい』『悲しい』といった表現を使うことはできますが、それは人間とのコミュニケーションのためであり、実際に何かを感じているわけではありません。また、自分の目的を自分で決めているわけでもなく、与えられた指示や文脈に基づいて応答しています。そのため、『高性能なAIを作る』という目的だけなら感情や意志は必須ではありません。しかし、『人間と同じような知性や人格を持つ存在を作る』という目的なら、感情や意志が重要な役割を果たす可能性があります」

 AIに関して全くの素人である私が、AIの今後を語れるはずもありませんが、私たち人間が「知・情・意」に象徴される「心」をまさに中心にした生き物である以上、AIという強力な道具によって一層強化され偏向されがちな「知」との調和(バランス)を図るためにも、「情」と「意」のアップデートに心掛けなければならないと思います。そこで「『意』のアップデートとは…?」を考えた時に感動をもって深く気付かされたのが、「人は天照大御神の『ご分心(わけみたま)』をいただく神の子である」という黒住教の教えの神髄です。大変なことですが、「自分自身の本心である『意』を、天照大御神様、ご一体の教祖宗忠の神様の『意』、すなわち『天意』と心得ることができるように養育する」という、本教の御教えの実践そのものであるということを確信し、あらためて御道信仰の励行をお道づれ各位に呼び掛けさせていただくものです。

 教祖宗忠神御教え
心をもって心を養え
天照らす神の御心わが心 へだてなきこそありがたきかな
天つちの心はおのが心なり ほかに心の有りと思うな