國學院大學博物館での特別展示
教主 黒住宗道

 本年二月号に「十年の計の『うったての年』」と題して「道ごころ」を記しましたが、今年という「教団成立百八十年・大明神号下賜百七十年・別派独立百五十年」を記念して、四月二十八日(火)から六月七日(日)まで(但し、五月十一日から二十二日まで休館)、國學院大學博物館(東京都渋谷区國學院大學内)で「教派神道と祈祷・江戸時代後期の黒住教」という特集展示が行われています。

 毎年同大學で開かれる「神道講座」に併せて、教派神道各教団が協力して企画展が開催されるのですが、今年は本教中心の特別展示ということで、ご案内を兼ねて展示物に関するあれこれを綴らせていただきます。

①弘化三年の「御定書」
 今年と同じ丙午と明記された弘化三年(一八四六)四月に九人の門弟行司によって制定された、黒住教初の教規(団体規約)です。「信心第一に候事」と謳われた第一条に始まり、代講の心得や御札の取り扱い、門人の規範など、全六カ条から成る基本的な約束事ですが、とりわけ「岡山藩士二人、商人二人、百姓二人、染物屋一人、瓦師一人、漁師一人」という門弟行司の身分構成は、江戸時代とは思えない民主的な姿勢が示されていて、本教の教えの神髄である「『人は皆、天照大御神の分心をいただく神の子』として優劣なし」の精神が如実に伺われます。この門弟行司を中心に、同年十一月に最初の大教殿といえる現在の教祖記念館の建設が発議され二年後に竣工、その二年後の嘉永三年(一八五〇)二月に宗忠様は卒然と御形を脱いで神上られました。宗忠様の最晩年に、組織としての教団が正式に成立したことを物語る重要な資料です。
②九條尚忠公筆「宗忠大明神」
 江戸末期の関白・九條尚忠公による「宗忠大明神」の大幅の書。教祖神が国家的な守護神として高く崇敬されていたことを象徴する歴史的な軸物です。九條公は、孝明天皇皇后(後の英照皇太后)夙子様の実父で黒住教を深く信仰し、孝明天皇の御側にあって宗忠大明神号下賜、神楽岡 宗忠神社御鎮座、そして同神社の勅願所御沙汰に尽力されました。赤木忠春高弟の手厚い祈りによって夙子様が奇跡的な病気平癒のおかげを受けたことを端緒に感得した天地の親神天照大御神、ご一体の教祖宗忠神への揺るぎない信仰心は、孝明天皇御前での説教の機会を赤木高弟に与えるとともに、後の関白二條斉敬公(神楽岡 宗忠神社ご鎮座に際して教祖神の御神詠を拝写して奉納)をはじめ多くの公卿方に影響をもたらしました。
③三條実美公筆「神文之事」
 幕末の公卿で明治維新の元勲・三條実美公が、神楽岡 宗忠神社御鎮座の文久二年(一八六二)に捧げた信仰宣誓の文(神文)です。天地同体の一心を説く御教えの根幹を若き日の三條公が尊信し、誠を尽くして信仰に励む決意を固めたことが伺えます。その信仰心が尊皇第一を掲げる維新の志士たちへの御教えの広がりを証明する、極めて史料価値の高い軸物です。なお、九條尚忠公と二條斉敬公と三條実美公が揃って宗忠大明神への崇敬の念を示していることは、宗忠様の説かれた御教えが当時の政治的主義主張を超越した普遍的なものであったことを物語っています。
④宗忠神真筆「天心」
 弘化三年(一八四六)に教祖宗忠神が認めた御真筆の軸物です。「天心」とは、万物の親神である天照大御神の御心と一つになった清浄かつ明朗な心、偽りのない本心、我執を離れた任天の心境を指します。教祖神が最晩年に自らの信仰の神髄を一言で表したものと言え、神人一体の境地に達した揺るぎない確信と陽気な精神性が感じられます。素人目にはまるで幼子が書いたような屈託のない書体ですが、専門家の間では宗忠様の代表的な書として知られています。
⑤宗忠神真筆「御訓誡七カ条」
 そもそもは宗忠様自らに向けた教えですが、やがて人々の要望を受けて門人たちに示した、日々を明るく前向きに生きるための具体的な行動規範です。信心を重んじ、不平不満や立腹や卑屈や慢心を避け、感謝と誠の心で「人となるの道」を歩むことを示した黒住教の代表的な教えです。最も数多くの教祖神御真筆が現存するのが「御訓誡七カ条」ですが、展示作品は弘化三年の書と伺うものです。
⑥神道裁許状
 文政七年(一八二四)三月二十日に京都の吉田家から宗忠様に授けられた、神職としての裁許状。これにより宗忠様は「黒住左京藤原宗忠」と改名(それまでは右源次)し、社家として代々勤めてきた備前国今村宮の禰宜職を正式に継承しました。宗忠様が自らの宗教的立場を公的に整え、新たな決意で道を進める契機となった、教団史上極めて重要な古文書です。なお、宗忠様が吉田家を訪ねられた時のご自身の旅の記録が「伊勢参宮心覚」として遺されていますが、その一節に「先吉田日本六十余州御神を勧請有し霊地拝し夫より真如堂黒谷へ参り…」とあります。現在、京都の吉田神社・大元宮から真如堂、黒谷へ向かおうとすると、道中には神楽岡 宗忠神社が鎮座しています。三十八年後の文久二年にご自身が御斎神として祀られる神社の境内地を実際に歩かれていたというご神慮に胸が熱くなります。
⑦三元三行三妙加持
 江戸時代後期に教祖神によって記された、吉田神道の流れを汲む祈祷札です。教祖神が折に触れて信者や崇敬者(お道づれ)のために深い祈りを込め、加持祈祷(御祈念)を行っていた様子が伝わります。この度の特集展示が「教派神道と祈祷」であることから、前出の「神道裁許状」とともに黒住家が吉田神道の伝統を重んじてきたことを物語る貴重な資料として特別展示されています。

 以上、限られた数ですが、開催期間中どなたでも拝観できますので、特に首都圏在住の方にお知らせいただければ幸いです。また、六月四日(木)と五日(金)には「第二十六回神道講座」が開かれ、四日には私が一時間講義を行います。ご関心のある方には黒住教学院までお問い合わせください。