教書に学ぶ教祖神の親心 五
教主 黒住宗道

 久々に当「道ごころ」にて、「教書に学ぶ教祖神の親心」を学ばせていただきます。

 今回は、石尾乾介高弟にとって五度目の江戸詰め(参勤交代による殿様の御供としての江戸勤務)期間中の、文政十年(一八二七)十月付から翌年七月付までの御文六一号から御文七三号までの御書簡が該当します。ただし、文政十年三月に高弟が四度目の任務を終えて江戸を発たれる直前に初めて江戸入りした一森彦六郎氏への教祖神からの御書簡(宛名不明も含む)も、御文五五号から御文七四号までの中に日付順に掲載されて教書は編纂されていますので、これまでのように、教祖神と石尾高弟のお手紙のやりとりだけに専念して“流れ”として教祖神の尊い御心を学ぶことが少し難しくなってきました。一言一句が大切な御教えである各御文を、単独に数行の解説だけで終えるようなことはしたくありませんので、今後どのような「道ごころ」を綴れるかは分かりませんが、「教祖神の親心」を有り難く学びたいと思って始めたシリーズなので、それぞれの御書簡から御教えとして学ぶべき事々については、意欲をもって通信講座の教書課程を受講していただくか、または現代語訳でよろしいですから教書を開いて御文を拝読・心読されますよう予めお願いしておきます。

 石尾高弟が四度目の江戸詰めの任務を終えて既に岡山に帰着された後の、文政十年六月十六日付の一森氏宛てのお手紙が御文五七号です。一森氏が大先輩を見習って教祖神に手紙を認め、有り難いお返事を大切に保管して下さっていたからこそ、この令和の時代に私たちが教祖神直筆の御書簡を通して御道を学ばせていただけるのですから、石尾高弟と一森氏には感謝しかありません。「肝胆相照らす間柄」とさえ申し上げられる教祖神と石尾高弟の師弟関係とは異なり、二十七歳も年下の一森氏に対しては息子に対するような、まさに「親心」で教祖神は氏を指導されました。「ますます御たるみなく(ご油断なさらず)…」との一言にも、そうした親心がうかがえますが、冒頭の氏へのお気遣いに始まる文体は石尾高弟への文章と同様に、まことに丁寧なお言葉遣いが徹底されていて、たとえ親子ほどの年の差がある弟子に対しても一人の人格(ご分心という“神格”)を尊重なさっていた常日頃からの教祖神の「人への接し方」を深く学ばせていただくことです。

 教祖神からのお手紙(御文五七号)が届く前に一森氏は次の手紙を認めたのでしょう…。月に二便(二日と十六日)しかない飛脚便なので、今でいうところの“チャット(インターネット上のリアルタイム通信)状態”とでも申しましょうか、御文五八号は七月二日出、御文五九号は七月十六日出と、一森氏のたびたびのお手紙に対して細やかに返信しておられる教祖神の親心に胸が熱くなります。

 八月十六日出と書かれた御文六〇号には、五度目の江戸勤務に赴かれる石尾高弟のことに触れて「追付(間もなく)乾介様(石尾高弟のこと)御出被成候間委敷御聞可被為下候」と「後は石尾高弟に教えてもらいなさい」と書かれて、それから暫く一森氏へのお手紙がなかったようなので、御文五七号から御文六〇号までの御書簡は、初めての江戸勤務が順調で幾分か上機嫌すぎる気配を心配された教祖神の「くれぐれも調子に乗りすぎないように…」との親心をひしひしと感じます。

 石尾高弟五回目の江戸への出発は、前回の御帰還から四カ月後という慌ただしさでした。十月二日出の御文六一号は、二十日を要する江戸への長旅の道中に、高弟が教祖神に「大阪布教」を提案された手紙への返信ですが、今村宮における「千日の御参籠」中ということもあり丁重に辞退されています。

 次の飛脚便の出る十月十六日に間に合わせるように、教祖神は石尾高弟宛(御文六二号)と一森氏宛(御文六三号)の二通のお手紙を認められました。前者は「神道はいきる事斗に而宜敷と奉存候」「時々刻々に物をいかし候所こそ天照大御神の御道と奉存候」という御道の神髄が明快に説かれている御文で、後者では何か心配事が生じた一森氏に対して「何事も道に任せて勤めておられるとのこと、(ならば)その上のことはありません」と優しく包み込むようにご教導なされ、その他諸々は石尾高弟ともう一人の門人青地藤四郎氏に相談するようにと、事細やかにご指導下さっているのが印象的です。

 次の御文六六号(欠番含む)は、翌文政十一年(一八二八)正月十六日出の石尾高弟に宛てた御書簡でした。ここからの数通は、積極的な布教展開を通して御道隆昌を願う石尾高弟の熱き心を尊重しながら「万事天命次第と奉存候」と控えめに応答された御文六六号、続く二月二日出の御文六七号で一層熱心にご布教への望みを内々に吐露された高弟に真摯に向き合われた上で「自然の時を相待奉候」と一層慎み深く応じ、さらに次の二月十六日付の御文六八号でも「兎角つゝしみ専一と奉存候」と慎重姿勢を貫いておられます。この御書簡で「私の千日参籠修行も順調にいけば来月中には終わります」と初めて記しておられるので、まずはご修行の満願成就に専心しておられる様子がうかがえます。

 初めての江戸勤務期間が殿様のご都合により半年延長された一森氏に、「何事も御任せ可被成候」との御言葉をわざわざ送り届けられた三月十六日付の御文六九号を挟んで、五月二日出の御文七〇号は、教祖神が千日の御参籠を終えて初めて石尾高弟に宛てて送られた御書簡です。日数不足は「追々に相済し可申と…」と、後に補填されたようですが、四月二十九日の満願(最終日)直後に、何はさておき石尾高弟にお知らせになったことがうかがわれ、お二方の揺るぎない御心の繫がりに感動させられます。

 続く御文七一号(六月二日出)、御文七二号(六月十六日付)、そして御文七三号(七月二日出)は、いずれも御文毎に深く学ぶべき大切な御教えばかりなのですが、教祖神の石尾高弟に対する親心という観点からお二方のやりとりを紹介させていただく特別な事例はありませんので、本稿では敢えて御文の紹介はいたしません。そして、八月二日付の御文七四号で、当初の予定が半年も延期された初めての江戸勤務を終えて久々に岡山に帰る日の近い一森氏に宛てた、まさに教祖神の親心に触れさせていただけます。

 千日の御参籠後に石尾高弟に送られた御書簡はいずれも、高弟を教え導かれるというより、尊き御道の有り難さを共に分かち合われる御心が一層色濃くうかがわれるように感じられます。それだけ、一通一通の御文から学ぶべき御教えは深く重要なので、教祖神の親心という観点から複数の御文をまとめて紹介する本シリーズとしては、次回(おそらく一年後)以降は一森氏への御書簡が中心になることを予めおことわりしておきます。