よりよく生きる
(元旦放送のRSK山陽放送ラジオ番組「新春を寿ぐ」より)
教主 黒住宗道
新年あけましておめでとうございます。この一年の皆様のご多幸と、ご安全を心からお祈り申し上げます。
本年の「新春を寿ぐ」は「よりよく生きる」と題してお話しします。
キリスト教といえば「愛」、仏教といえば「慈悲」という代表的な一言で表すことができますように、神道、とりわけ黒住教といえば「誠」です。「誠之道」、すなわち「誠の道」であり「誠が道」である黒住教では、「よりよく生きるための〝五つの誠〟」と題した実践徳目を掲げて、「ともに誠を尽くして!」と呼び掛けています。
よりよく生きるための〝五つの誠〟
一、祈りの誠
一、孝養の誠
一、奉仕の誠
一、感謝の誠
一、反省の誠
「誠を尽くす」とは、誠実に誠心誠意、真心から真剣に生きることを意味しますが、意固地になって無理やり頑張ることではありません。むしろ、「我(ガ・われ)」という執着心(すなわち「囚われの心」や「拘りの心」)を離れて、「おかげさまの心で陽気に謙虚に信じて任す」ことが肝心です。この「大らかで揺るぎない楽天的確信」ともいえる信念を根本的な心得にして、「祈り」と「孝養」と「奉仕」、そして「感謝」と「反省」を意識して生活することが、「よりよく生きる」ことであると私たちは信じています。
「祈りの誠」と「孝養の誠」は、私が教主に就任して二年目の平成三十一年元旦の当番組「新春を寿ぐ」で「暮らしの基本に〝敬神崇祖〟」と題してお話しした「敬神」(神を敬うこと)と「崇祖」(先祖を崇めること)を重んじて「誠を尽くすこと」です。
森羅万象、ありとあらゆる大いなるはたらきを八百万神と称えて敬い畏れ慎む神道ならではの、大らかで謙虚な心で手を合わせる「祈りの誠」と、死によって人の命は消えてなくなるのではなく、先祖の御霊として生き通すと信じて親孝行する思いで祀る「孝養の誠」を縦軸とすると、「奉仕の誠」は、人や社会、また環境や世界という他者・周囲との関係性を重視した横軸で、「思い遣り・慮り」がキーワードです。
また、「縦軸・横軸」とは別に「祈りと孝養」そして「奉仕」を「時間と空間」と捉えて、長い歳月をかけて連綿と受け継がれ育まれてきた歴史や文化や伝統を尊重する「祈りの誠と孝養の誠」、そして「〝今〟と〝ここ〟(now and here)」という自分の立ち位置を拠として意識して、家族、地域、国、さらに国際情勢にまで視野を広げて社会・環境に配慮する「奉仕の誠」に励むことも、より良く生きるための大切な座標軸です。
最後に、自分自身、すなわち自らの心の内面を冷静に顧み、惟る「謝意(謝の心)」、すなわち「感謝と謝罪」が「感謝の誠」と「反省の誠」です。よくよく考えますと何もかもがおかげさまで、自分で生きているのではなく生かされて生きているということに誰でも気がつきます。英語の〝think〟と〝thank〟の語源は同じとのことですが、洋の東西を問わず真理は一つを実感します。
このように、縦と横、昔と今、他者との関わり、そして自己の内面などの深い意味合いが込められた「五つの誠」を常に意識して生活することで、心豊かに健やかに「よりよく生きる」ことができるのです。
この「よりよく生きるための 〝五つの誠〟」は、黒住教の教えを広く世間の人々に分かりやすく伝えるために、私が教祖宗忠神の言葉や在世中の逸話などを五つに分類したことに始まりますが、西暦二千年(平成十二年)の「教祖神百五十年大祭」に際して当時の教主であった父が「より良く生きるための」とタイトルを付けて発表しました。
以来二十五年…。〝心の時代〟と言われて幕を開けた二十一世紀も四半世紀を迎える今、世の中には「マインドフルネス」とか「ウェルビーイング」、また「よく生きる」、さらにはズバリ「よりよく生きる」という言葉で表現される「一人ひとりの精神的な充足感」を探し求める人たちで溢れています。今日のお話はいささか理屈が過ぎたかもしれませんが、何か一つでも興味・関心を持って下さった方が「黒住教」とか「黒住教主」というキーワードを検索してもらえるきっかけになれば嬉しい限りです。
最後に、「誠」について宗忠神が詠んだ短歌を数首紹介します。
有り難きまた面白き嬉しきと
みきをそのうぞ誠なりけれ
誠ほど世にありがたきものはなし
誠一つで四海兄弟
神といい仏というも天つちの
誠の中にすめるいきもの
誠には剣もたたず矢もたたず
火にさえ焼けず水に溺れず
身も我も心もすてて天つちの
たったひとつの誠ばかりに
あらためて、世界の大和と皆様のこの一年のご多祥・ご多幸、そして天地のご安泰を心からお祈り申し上げます。
※RSK山陽放送ラジオは、昭和二十八年(一九五三)に岡山市に開局し、以降毎年、元旦放送恒例の第一声として、五代宗和教主様の「新春を寿ぐ」とのご挨拶を放送してきました。同四十九年(一九七四)からは、名誉教主様が同放送を受け継がれ、平成三十年(二〇一八)より教主様に継承されました。