ともに誠を尽くして
活かし合って取り次ごう!
教主 黒住宗道

 『教祖宗忠神御小伝』、『道の栞 三十カ条』、『百二十言』、『誠の心伝』また『心の營養』等を通して教祖宗忠神の御教えを書き著して、黒住教教学の礎を築いて下さった星島良平高弟が「伝習係長」に着任された明治七年(一八七四)を本教のお道教師養成活動の起点とすると、今年は節目の百五十年に当たります。黒住教立教二百十年、神道山ご遷座五十年とともに、実に有り難い節目の年に「黒住教学院学友会」が再編成なって新設され、本誌先月号で既報の通り、去る十月一日の開運祭に併せて記念式典が執行されました。オンラインでも配信された記念式典(開運祭)の説教で、〝学びの友〟たる学友各位に、祝意と感謝、そして期待と激励を込めて、私は「ともに誠を尽くして」と呼び掛けました。

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 今や電気や水道と同様に、私たちの日常生活に欠かせないライフラインと化しているのがデジタル技術による情報ネットワークです。独り言の呟きまでも瞬時に世界中を駆け巡り、あらゆる活字や音声や画像や映像がデータとして蓄積され、生成AI(人工知能)によって瞬時に分析・処理される驚異の世界に私たちは生きています。「スマホは手放せないが、電話とメールとカメラぐらいしか使わない」という方はもちろん、「以前の〝ガラケー〟の携帯電話すら手にしたことはない」という方も、道路を歩くだけでその姿は映像で記録されていますし、自宅での普段の暮らしぶりさえもデータ化されています。今さら、驚き恐れても仕方のない現実ですが、便利で快適な社会生活を当たり前に送ることのできる環境をもたらしてくれているのも、高度に進化したデジタル技術であるということも間違いありません。

 私は、デジタル化社会によって浮き彫りにされている最大の課題は「個人の生き方」だと思っています。

 SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を通じての〝人でなし〟による 〝口撃〟や、〝言うまでもない〟レベルの基本的で大切な情報を、「果たしてどれだけ重要なデータとしてAIに認識させているのか…」と思うにつけ、今まで以上に、一人ひとりのより良い言動というか、人としての正しい発言と身の振る舞いが、現代社会では必要とされていると思います。

 今年七月に広島市で開かれた「平和のためのAI倫理 ─宗教界からの提言─」と題された国際会議で、私は「地球上の全ての宗教指導者に届きますように!」との願いを込めて、「世界の諸宗教が教え導く『愛と慈しみと真心の言葉』を、より多くの人々が日常的に用いる平和な世の中の構築こそが、結果的にAI倫理の問題も解決に導く道だと信じます」と訴えました。それは、私たちにあっては「 〝まることの世界〟の実現を目指して誠を尽くすこと」に他なりません。

 八年前の教主就任に際して発布させていただいた「告諭」と「示達」の内、先月四回にわたって有り難く斎行された「黒住教立教二百十年・神道山ご遷座五十年記念大祝祭」にて、「示達」を〈その二〉として改訂発表しました(本稿先月号をあらためて熟読して下さい)。既にお気付きのことと存じますが、その中の【心構え】はこれまでと同文です。

【心構え】
 私たち黒住教お道づれは、「活かし合って取り次ごう!」を合言葉に、全ての人々の〝元気〟を喚起して、世の中が和やかに共に栄える「まることの世界」の実現を目指します。とりわけ、病み悩み苦しむ人のために「祈りと奉仕の誠」を尽くし、教祖宗忠神のお守りとお導きを信じて自らの信仰心を養い、御教えの励行を心掛けます。そして、共に「まることの世界」の実現を目指す「まることの人づくり」につとめます。

 「日の教え」・「心なおしの道」の有り難さを知る〝学び徒〟の集いである黒住教学院学友会の拡充こそが、すなわち「まることの人づくり」です。各位への感謝と期待と激励を申し上げる所以です。

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 かつて私は「お道づれ(黒住教信仰者)=学び徒」と名付けました。「神道の教えの大元」たる黒住教を信仰することは、すなわち教祖神を尊崇・敬慕して御教えに触れることですから、「本教に縁ある方は全て〝学び徒〟」と、いささか強引に思われるかもしれませんが「それぐらいの心意気をもって、お道信仰をしてもらいたい…」という、私の願望を込めた命名です。御教えを学ぶつもりがなくても、そもそも〝学び徒〟なのですから、オンラインで発信している私の説教やSNS等を視聴して下さっている人や、本誌『日新』の読者各位は胸を張って自分自身が〝学び徒〟であると意識してもらいたいですし、さらに進んで黒住教学院の様々なカリキュラムを通じて御教えを学ぼうとする意欲ある方は正真正銘の〝学び徒〟です。そうした、求道心のある〝学び徒〟を包括するのが、この度再編成なって新設された「学友会」なのです。

 十月の大祝祭で、私は「世の中には〝ぼっち(ひとりぼっち)〟が溢れています。本教ならではの陽気さと温かさをもって、活かし合って取り次いでまいりましょう!」と呼び掛けました。ただただ、「有り難い、この〝日の教え〟を取り次がずにはいられない…」という〝道の仲間〟が一人でも多く輩出されることを願っているのです。

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 実は、ここまで本稿を執筆した先月(十一月)十六日の昼前、「本人ご参拝の教主様御祈念の申し込みがあります…」との連絡が入りました。初めて参拝した四十代の男性で、申込用紙には「今までとても孤独なだけの人生でつらかったので良い縁に恵まれますように、悪いことが起こって悩むことがあるので諸難が消除されますように」と書かれていました。手厚く御祈念をつとめて、本人への祈り込みも行ってから話を伺うと、「黒住教主様のnote(SNSの一つ)のお言葉にいつも心が清められる思いがしていて、信者でもないのですが思い切って参拝させていただきました」と打ち明けてくれました。

 〝良い縁〟を自ら手繰り寄せた彼の気持ちを称えるとともに、心から御礼を言って「次回はぜひ御日拝のおかげをいただきましょう!」と励ましました。本人の知る由もない、原稿執筆中の私にしか実感できないことですが、この絶妙なタイミングで私のSNS発信に応じてくれた彼は間違いなくおかげを受けられる…と確信しています。